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突き抜ける青 木ノ下葉子歌集『陸離たる空』を読む

 水甕に所属する作者の第一歌集だ。港の人より刊行されており、ソフトカバーで歌集の出で立ちから若々しさを感じる。   太陽に笑ひかけられ疲れたりコジマの看板避けつつ歩く   プルタブののめり込みたる舗装路を踏みては帰るあの夕間暮れ  地方都市を舞台にした歌が全体に散りばめられ、切り取り方が上手い。たとえば一首目だが、都内はヤマダ電機やヨドバシカメラが多いが、地方都市ではケーズデンキやコジマが多い印象だ。そのコジマの看板が太陽が笑っているマークなのだ。大通りに大きい建物があり、その上部に大きな太陽が笑っている絵など異様なのだが、そうした過剰な感じに辟易している。コジマを知っている人からは強い共感を得られる歌だ。二首目もプルタブがめり込む舗装路という光景がよくあり共感を呼ぶ。絶妙な切り取り方で地域性を出しているのが魅力だ。   特急のパンタグラフの削りゆく西つ空より血汐したたる   EEG検査の電極取りしのち技師はさくりと我が髪梳る   看護師の私服姿を見たる夜の病棟ほのか蜂蜜にほふ  特急の歌のようなひりひりとした歌もみられる。感覚が鋭敏で少し読み手としてははらはらする。措置入院という連作もあり、入院の歌がでてくるのだが、入院生活のなかでは一首目のようなひりひりとした歌は落ち着いて、二首目のような患者として・客体としての自分と、自意識の歌が出てくる。脳波検査のあとに乱れた髪を検査技師が梳るのだが、梳るという言葉の斡旋の美的感覚や、身体感覚により女性性が浮かび上がってくる。また、さくりという擬態語が慎ましやかな感じがして、さびしさも感じる。三首目は蜂蜜という比喩から女性を連想させる。看護師が私服でナースステーションを訪問した際に、看護師としてではなく女性としてみてから、自身も甘やかな気持ちになったのだ。二首目は患者とわれの対比で、三首目は看護師と君という関係だ。病院で自意識や身体感覚が異化されて、そこから歌を立ち上げるという歌は本歌集以外にも多いが、木ノ下の優れた感性と身体感覚により病院の歌においても個性がある。   真つ直ぐなものの基準としてあをき水平線を心に持ち   雲を肩にとどめ流れてゆく君よ帽子のゴムを鎖骨に垂らし   校正の部屋の窓辺の百日紅ああイキてゐるそのママである  また、海の歌が美しく抒情的で印象に残っている。一首目は心象風景だが、本歌集に海の場面が頻出

月夜の鴉 遠藤由季歌集『鳥語の文法』を読む

 『鳥語の文法』は遠藤由季の第二歌集だ。婚を解く連作から始まり序盤の主題としては重いのだが、感情に溺れることなく繊細に、力強く展開していく。また、海外や震災の歌も散りばめられ、読み応えのある歌集だ。   ガムテープの芯の真ん中にいるようだ荷物がまとまらない真夜中は   さみしげなメールが何度か届く夜熟れたバナナの香は漂えり  遠藤の比喩は独特だ。米川千嘉子は「かりん」(二〇一八・二)で〈びっしりとてんとう虫ほどの汗をかくマーケットにて母を待つ子は〉を引用しつつ、てんとう虫ほどの汗についておかしみと苦しみのある比喩で、それ以上に子の不安や母子の絆の儚さや、私自身にある〈母〉というものの(母親であることだけを根拠にした)不遜な自信を思い出させたと評している。米川のアプローチは抒情面からの分析である。一首目のガムテープの歌はそれに近い。ガムテープは引っ越しの場面で登場するもので、実景と比喩が重層的にかかってくる。ガムテープの芯の直径の大きさと、周りにテープが巻かれている閉塞感が景と心情を表現している。二首目は誰からのメールなのかは読み取れないが、下句の比喩が独特である。ガムテープの歌でもそうだが、遠藤の比喩は細かい描写を伴う。単なるバナナではなく、熟れたバナナの香なのである。それも夜なので、熱帯の湿気もイメージとして呼び起こされる。細やかな的確な比喩がイメージの喚起に効果的に作用しているのである。   鴉とわれひとかたまりの闇分かつまだ何もなきゴミ集積所   おばあさん帽子を被る人多し鳴かぬ小鳥を隠しいるらむ   じっくりと己を辞めてゆくように鳩は鳴き終え路地に擬態する  タイトルに鳥がつくだけあり、鳥類も多く出てくる。鴉と鳩の歌が一番多く象徴的な意味があるため引用したが、雀や白鳥も出てくる。鴉は闇の象徴として出てくる。村上春樹『海辺のカフカ』でもカラスは出てくるが、本歌集でもただならぬ存在である。それはシャドーでもあり、鴉の色艶や鳴き声、通勤者を超然と電柱から見下ろす様に、遠藤は自らの闇を重ねている。精神分析学のような考えになるが、鴉とわれの緊張感は闇を認めつつ、飲み込まれまいとするところからくるのかもしれない。二首目は結句でらむと、ちょっとした素朴な奇想なのだが、小鳥は自我のようなもので、おばあさんは年齢を重ねていくにつれて、その自我のようなものをそっと