二〇二五年四月二十四日(木)ホテルルポール麴町にて「2025 空穂会」が催された。会のはじめに窪田空穂が朗読している音声を聴く時間があり、はじめて生の声を聞いた。しかし、あまり初めてという印象を持たなかった。空穂の口真似は以前馬場あき子先生から聞いており、また短歌の調子が肉声と合っていたからである。初めて聴いたにも関わらず、そうそうそんな感じなどと思うなどした。
対談は馬場あき子・島田修三「『卓上の灯』と空穂」。『卓上の灯』は空穂の第十八歌集で昭和三十四年八月に刊行された。作品は空穂が七十一歳である昭和二十三年から、七十六歳である昭和二十八年までのものが収録されている。レジメによると、この時期、空穂は早稲田大学を定年退職し、『現代語訳源氏物語』が完結した時期。社会では東京裁判判決、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約があった。馬場も島田も、空穂にとって気持ちが楽だった時期だったと思うと言っていたが、敗戦後に日本がどう歩んでいくか、おぼろげながらイメージが社会全体に出来てきた時期なのだろう。
天地《あめつち》はすべて雨なりむらさきの花びら垂れてかきつばた咲く
自然詠の多い『卓上の灯』だが一首代表歌を挙げるなら、上記引用歌であり、三句目以降にかきつばたの垂れる豊かさが、自分の生命として詠われていると馬場は述べる。また、両氏とも、空穂の作品に出てくる天地は万葉集から新古今和歌集に続く宗教観、例えば仏教などの宇宙観、世界観が反映していると述べる。また、空穂の信仰したキリスト教と、左記のような仏教が接近していることも特徴であると述べる。
いぶかしも世の常にして常ならず女が持てるこの目この口
態《さま》のよき大緋鯉ふたつ池に棲みおほらかにして人に馴《な》つかず
一首目は詞書にモナ・リザとある歌。馬場は、モナ・リザはチャーミングだが油断ならない女性だと、空穂の女性観が出ているという。二首目は馬場、島田ともに、大きな世界を空穂は詠いつつ好悪があり、人からべたべた寄られるのは嫌いで、独自の自分の個性を守りたいと思っていたと評していた。その反面、人情や機微に感じ入る性格も持ち合わせており、或る俗っぽさがあるという。そうした点に空穂はなかなか油断ならない巨魁のようであったと馬場は評していた。
歌の評以外の脱線の部分も面白い対談だった。島田が馬場に、今活躍している空穂門下のなかでは馬場が一番空穂に近いのではと投げかける。馬場は、最近はより一層と鳥や虫に敬愛している、熟知のものの中に発見をするようにと空穂が言っていたことを紹介する。しかし、対談が盛り上がってくると、空穂のべらんめえ口調や、寄席や廓噺が好きだったというエピソードも話題に出て、聖俗併せ持つ空穂の雰囲気が、馬場や島田を通じて伝わってくるような気がした。モナ・リザの歌のくだりに戻り、空穂はモテたかどうかといった話も出ており、国語便覧に載っているような近代の歌人というわけではなく、まだ間接的に生の空穂を知ることができるのだと実感した。
『窪田空穂全歌集』や岩波文庫の『窪田空穂歌集』は座右に置いているのだが、対談を拝聴するとまだまだ読み足りていない。まさに伝説の巨魁という感じだと思わせる対談だった。
さて、空穂会は空穂系結社の歌人が勢ぞろいする。空穂ひとりから始まり、多くの歌人、結社に広がるところからも、空穂の歌や人間的な魅力ががわかる。対談で空穂の面白みを堪能したあと、周囲を見回すと、どの歌人もどこか空穂に似ているのではと思った。一方で、現在は消費のスピードが早く、古いものや、じっくり時間をかけ味わうものが駆逐されているような時代感がある。タイムライン的な時間の流れに埋もれさせない努力が必要なのだろう。空穂会のように顕彰できるのは良い、存続できるようにコミットしていきたいと思った。