筆者は歌集を読むときにあとがきから読むことが多いように思う。歌集自体に挨拶や、アイスブレイクをいれるような心持ちなのかもしれない。本歌集は、「私は地方紙新潟日報社の東京支社に勤務する傍ら、大学院修士課程に通っていた。当時の新聞業界は圧倒的な男社会で、女性は文字通りの少数派」、「疲れた頭で見上げると、すさまじい勢いで若葉に覆われていく桜が目に入った。ぞくりとした」、「男女雇用機会均等法施行から三十余年、政治や事件取材の現場に女性記者がいるのは当たり前になった」等々、あとがきに仕事のことや、問題意識が提示されている。歌集によってはあとがきは詩的でわかったような、わからないようなものや、人を食ったようなものもある。そうするとあとがきで食傷気味になる。一方で本歌集は簡潔に書かれており、それでそれで、ともっと話を聞きたくなるような歌集だと思った。
列島の記者幾千が耳ひらく共同通信ニュース速報
チリチリと放電続く職場にてわれの書くべき原稿を書け
くらくらとかなしい昼にやって来てチンジャオロースー炒める男
巻頭の連作「ニュース速報」より引用した。職場詠らしい職場詠で歌集は始まる。インターネットではなく、ニュース速報や、電話、FAXで情報のやり取りがなされる時代感が一首目に出ている。一人一台パソコンが貸与されるような時代にはない、みな同じものに注意を払い、一点に耳を澄ます緊張感がある。二首目の放電が続くということは、電気の配電が老朽化しており、また昼夜問わず電気がついていることがわかる。したがってそこから職場のやや疲労が充満しつつも、働く活気のある雰囲気を読み取れる。そんな激務のなか、恐らく急に男は職場でチンジャオロースーを炒めた。少しやけっぱちな感じもあるが、リフレッシュの方策であり、チンジャオロースーを炒めるというやや突飛な点も却って、風通しはいいような雰囲気が伝わる。職場詠はあとがきにある圧倒的な男社会である新聞業界のスケッチであり、しかもまだワークライフバランスという言葉は一般化する前の時代である。
フィルムを詰め替え白く息吐けば雪虫見ていた兵士と目がある
ヒロヒトはお元気ですかと尋ねられ口ごもりたる我に驚く
連作「中朝ロ三国国境」は連作の背景を説明する詞書がある。一九八九年米ソ冷戦終結、環日本海ブームのなか、北朝鮮北部、ロシア極東、中国東北部の国境地帯に取材で入ったという。一首目はジャーナリストらしい一場面で、雪虫や兵士というその場ならではの事物もあり写真のようである。二首目は急に昭和天皇の話題を切り出される。一九九〇年に取材にはいったと詞書に書かれてあるので、もう崩御している。その旨を言えばいいのだろうが、何かが歯切れを悪くしている。この連作は職場詠でもあり海外詠でもあるためスケールが大きい。しかし、大掴みになっていないのは、政治的な不全感が随所に垣間見え、歌に批評性があるからである。
働き者のおみなの太き腕似合うビヤホールなり銀座ライオン
二度注ぎはしないがルール金色の泡が渦巻き雲となるまで
白鳥野太き声を跳ね返す空の硬さを冬と呼びたり
こうした息抜き的な歌は批評性があったり、緊張感のある歌のある歌集のなかにあると、より効果的である。一首目は「収穫」がモチーフの巨大壁画があると詞書にあり、ビールの原料である麦と合っている。二首目はビールを注ぎ飲む場面だが、金色の泡が雲になるという、ビールのジョッキに宿る美しさを捉えられている。一方で、少し広告写真のようでもある。三首目の歌は、一、二首目の歌の前の連作に収録されており、同じ見開き頁にある。白鳥の声の反響から、空の硬さを経由する点など技巧的であり、上手い歌。技巧らしい歌を提示しつつ、一、二首目のような、次頁の宴席の歌に展開する点からも本歌集の歌の幅の広さが伺える。