藪内亮輔歌集『心臓の風化』を読む

  雨は薄い海だといへど頷かずその海中《うみなか》へ入水してゆく

  不如帰《ほととぎす》その雨のやうな羽搏きに撃ち殺されてもう一度生きよ


 死を詠った歌が多い。一首目は薄い海と形容される雨に相手は打たれるのだが、それを入水と表現することで相手に死の雰囲気を与える。それだけではなく、雨の日の外界は死の世界とも読める。では、外界ではなく内的な世界はどうかというとやはり死の雰囲気がある。二首目は天下人の性格を表す慣用句にたびたび登場する不如帰であるが、撃ち殺されてもう一度生きよという下句に、慣用句の度に天下人にいいようにされ、織田信長だけではなく、豊臣秀吉や徳川家康であっても最後には不如帰は殺されるだろうことを予感している。引用歌の最後に詞書があり「私の身体に豚や魚の屍体を食べさせる。(略)われわれのからだは墓場のように熱く、感情と祈りと死者がにぎやかに飲み会をしているところだ。」を書かれている。埴谷雄高『死霊』でもいままで食べてきた食物が糾弾してくるシーンがあったが、藪内も同じような感覚があるのだろうか。虚体論や人類史も絡みいよいよ複雑になってきたところで絶筆の『死霊』だが、人類史といえば戦争はついて回る主題である。


  だつたのに死にも激しい死があつた 水の最後のひと吸ひが鳴る


 冒頭の連作「Weathering 」は日付、言語、ロシアによるウクライナ侵攻、主にこの三つの小文が詞書のように付され、数首ずつ連作が進行するつくりになっている。引用歌は「20**/03/20」、「翻訳不可能なものは美しい。ナボコフの「掛詞」を翻訳した人は苦労しただらうと思ふ。(略)ウクライナのショッピングモールにミサイルが落ち、民間人が死傷した。死には区別がない。緩慢な死と、突然な死。」という小文のあとにある。この小文の結語を受けての歌だと思うと、案外長歌に対する反歌のような歌なのかもしれない。


  あなたは人の異貌の鏡 空深くふかくふかくふかく落ちてくる


 この連作後半になると、第二次世界大戦末期に京都へ原爆投下をし、文化財を破壊することで戦意を削ぐべきという主張があったこと、ウクライナ人女性がロシア兵に性的暴行を加えられるという主題も盛り込まれる。引用歌の上句と下句にそれらが盛り込まれているのだろう。この二つの出来事に尊厳の破壊という共通項を見いだすべきなのだろう。また、連作中に裏打ち的にアイヌの言葉が盛り込まれる。先の蛮行は近代的な帝国主義といえるのか、別物なのかは別の議論として、いにしえの大和民族の帝国主義も連作に忍ばせている。連作「Weathering 」は含異が多分にあり読めているという自信がないのだが、暗示の多さや混沌とさせた様は実験的だと思った。


  性格が悪いよねつていはれをり 違ふよ 貝を殻ゆ剝ぎたり

  原稿《ちんちん》を書いても書いても花になることにこんなに支へられるなんて


 内向的なのだが自我がときに棘があり、ときに肥大化している歌も印象に残る。一首目は四句目以降により一層、上句の性格が悪いという指摘を補強しつつ、自覚症状のないような表現がある。露悪的なところに、自我とそれを認知するメタ認知、さらにはメタメタ認知が設定されている。二首目は原稿にルビが振ってある。フロイトのいう男性器と読むべきか、まず代入してみると、例えば先行作品という父があり、また男性器である原稿がなくなると(去勢)不安にさらされるとなり通りがいい。冒頭の連作も巻末の連作も主題性のあるものであった。詞書や記号、いくつかの主題を並行させる試みがあり、複雑な構造があるため歌集全体としてではなく連作毎の論考が必要であると思った。