二〇二六年五月四日に東京ビッグサイトにて催された文学フリマ東京42に「歌林の会」として出展した。今回は筆者は売り子もしたが、撤収作業が大きなお役目であった。撤収は目の前のものを送るか、捨てるか即座に選択し、返送のための段ボールか、ゴミ袋に如何に早く詰めていくかが求められる。そのことだけを考え、そのことだけをする。また、台車を操作するときは、会場は混雑しているので、搬出場所にせよ、ゴミ回収場所にせよ、安全に操作することにも集中しなければならない。荷物とは質量保存の法則が適用されないのか、搬入後膨張するのか、何故か返送のための段ボールに入りきらないことが多々ある。そうした事象は見越していたので、レターパックライトを数枚買ってあり、最寄りのコンビニ備え付けのポストで返送し事なきを得た。何が言いたいかというと、筆者の気構えとしては、完全に業務遂行モードであり、他ブースを回ってはみたものの、冊子を購入するような気分ではなかったということだ。
と、ここまで書きながら例外があり、それが「H2O企画」の濱松哲朗フリーペーパー「土祭」である。昨今の文豪アクリルスタンドの流行を鑑みて、某歌人(ここでは具体的な名前は差し控える)のアクスタがあってもいいのではないかという話をし、個人的にはダイキャストも重みがありいいと思うなど話しつつ、フリーペーパーを頂戴した。
安売りのパンは耳から固くなる さういふ無駄な抵抗をして
山崎製パン株式会社の販促キャンペーンに「春のパンまつり」があり、パンに付いてくるシールを集め応募すると、白い皿を得ることができる。濱松は以前、「春のパンまつり」に取り組んでいると発言しており、そうしたことから〈安売りのパン〉は春のイメージである。また、山崎製パン株式会社のパンだとすると、〈安売り〉というのは品質ではなく、賞味期限の問題であることもわかる。上句の場面はわかってきたが、下句ではパンを擬人化している。容易に食べられまいと固くなり味を落とすことが、無駄な抵抗なのか。まず、パンという汎用性の高い主食は、不特定多数の人、モッブ、またはG・C・スピヴァクのいうサバルタンの比喩ではないかと推測できる。また、『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』に登場したディオ・ブラントーの有名な台詞「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか」も想起できる。尤もディオは吸血鬼であるため、パンはディオの犠牲になった人間の比喩であり、「不特定多数の、またはG・C・スピヴァクのいうサバルタン」的な意味合いがある。歌に戻ると、主体は先述したようなことがパロディとして頭に過ぎりつつパンを食べるのである。
コピー機に走るひかりの速度にてかつて砲台は向きなほりたる
「土祭」は当日朝、キンコーズで印刷したという。なので、それを見越して予め連作に詠み込んでいたのである。また、砲台は、文学フリマ42の会場がお台場であることに由来し、一種の挨拶歌である。さらっと挨拶歌があるところが小慣れており、読者はニヤリとする。
わが貌をかたどる土面のひとつならずゑみてあまねく汝を逃さじ
土面という土俗的なモチーフである。土面はひとつではなく、あまねく汝を逃さないというので、壁に所せましと掛けられている様を想起すればよいのだろう。我が分裂しつつ、ある範囲に飽和している状況において、他者は異物である。土面がペルソナでもあるなら〈ゑみ〉は表面的なものなのであり、汝を逃さない状況を肯定的には捉えていない。汝だけではなく我自身も逃れることができない土面の間なのである。
明くる日は、昨日の喧噪が嘘のようだ。ただ目の間には金銭の始末のような残務がある。連休だが幸い郵便局本局は開設しており、各銀行のATMも機能している。こうした祭りのあと的な日常も含めて文学フリマなのだろう。