短歌史を補強してはならない

歴史という言葉にキナ臭さを感じとるようになったのは、齢のせいだろう。かつての認識は、歴史を学問体系の一つとして捉え、「温故知新」のような言葉もあるという、良い面のみをみた浅い認識だったように思える。人も社会も、存在するだけで歴史を形成してしまうが、記述されなければ現象として雲散霧消してしまう。しかし、ひとたび記述されると、ときに読者を得、影響を与えることになる。遡るとローマの時代から、「然しながら既にエピクテトスは云つてゐる、『事實でなく、事實に就いての把捉が人間に刺戟を與へる。』」(三木清、「三木清全集」第六巻、一九六七・三/岩波書店)といわれており、この言葉に照らせば、事実の記述たる歴史に対してかつての自分が抱いていた認識の浅さは、恥じる限りだ。

 吉川宏志『一九七〇年代短歌史』(二〇二六・一/短歌研究社)の書評を書く機会を「かりん」(二〇二六・六)得たのは幸運だった。大まかに拙文の内容をまとめると、70年代における岡井隆の失踪や学生短歌の言説、岩田正の土俗論などを詳細な調査に基づき読み解いた一冊と紹介しつつ、主題により主観や評価軸が色濃く反映されており、「批評」であると論じた。つまり、先述のエピクテトスのいう現象が、『一九七〇年代短歌史』においても表出することを指摘したことになる。なお、E・H・カーも同様の指摘をしており、彼はそこから蓋然性の高い推論を導き出せると考えていた。あとがきで吉川自身も留保している通り、歴史の記述は決して完全なものではない。しかし一方で、後世の被引用や言説の「補強」が重ねられることで、それはあたかも絶対的な正史であるかのような顔をし始める。本来は不完全なはずの歴史が、あろうことか「完全」なものへと仕立て上げられてしまうのだ。

例えば「最も真説に近い「仮説」 『一九七〇年代短歌史』(短歌研究社)〈加古陽の短歌遊行〉」(「東京新聞」、二〇二六・三・十四、https://www.tokyo-np.co.jp/article/474686)の標題などが「補強」であり、歴史を「完全」にするものである。「最も」・「真説」で補強しつつ、「近い」・「仮説」で主張のバランスをとっている。「真説」と単独で断定しすぎると歴史の不完全性に反して読者の警戒を招くため、あえて「近い」・「仮説」という客観的な文言を加えることで、結果としてこれ以上ない「補強」として機能しているのだ。

筆者が書評で書いた通り、作者≒読者である歌人は自らの評価軸をもつため、いや、ゆえに最大公約数的な歴史を描くのは困難だ。『一九七〇年代短歌史』は多くの資料に客観性が担保されているようで、やはり、評価軸がにじみ出てしまう。歴史に対して誠実な態度とは、他者による「修正」や「補足」の対話を重ねる作業のことであり、一つの記述を絶対化する「補強」ではない。補強は歴史を「完全」なものへと硬化させ、不当な権威性を帯びさせる。近代以降の歌人たちが、国家や権力との結びつきを激しく反省し、それを忌避してきたという歴史を鑑みれば、歴史が「完全」なものとして固定化されることは、不幸なことだと思う。