小さい頃から、他者、自身問わず、血を見ると気分が悪くなった。転んで擦りむいた傷を見ても平気なのだが、切り傷から小さな滴のように出血するのはいけない。血液だけではなく、例えば大学の脳科学の講義のときに脳のアクリル標本を目にしたときも血の気が引いてしまった。これを迷走神経反射と呼ぶことを知ったのは、もう少し先のことではある。
それからしばらく血の気が引くことがなく、救急搬送を受け付ける医療機関に勤めるようになった。直接患者に接する部署ではないので問題ないと思ったのと、実際勤めてわかったのが、業務中だとアドレナリンが出ているのか、心理的な耐性ができていることがわかった。大いに自信がつき、また時間が経ち、紆余曲折あって救急搬送を受け付けない医療機関に職を移した。休日に救急車のサイレン音がなっても何も思わなくなり、瞬間的な慌ただしさ・緊張感からも解放されて精神衛生上はよかった。
或る医療にまつわる講演を聞きに行ったときに、症例発表で手術の映像が映されたときに、長らく眠っていた「血液恐怖症」が目を覚ました。自分ではわからないが1分程度意識消失していたらしい。入眠するように心地よく、月並みだが臨死もこんな感じなのだろうと思った。また、興味深く思ったのは意識消失中に、月明りのみの湖の幻想をみていたことである。黒い水面が永遠に広がる映像だ。しばらく水面の反射光を眺め、景色の美しさに何ともいえない満足感を感じていた。次第に自分を呼ぶ声が大きくなり、白く明るい霧に包まれ現世に戻った。
臨死の際に水辺の幻想が生じることは、古くは三途の川やギリシャ神話の冥界の川(アケロン川等)にある。筆者の個人的な体験と共通していることで、精神現象的に存在するのか、外部にそういった川があるのかは定かではないが、古の幻想に確信めいたものを感じた。幸い渡し賃も持たず、船も欠航していたのか、彼岸に渡ることはなかったが、三途の川かアケロン川の下見ができたのは収穫であった。