「COCOON」Issue40を読む

 同人誌「COCOON」が十周年という。発刊当時の記憶は筆者にも薄っすらとあり、「コスモス」の結社内同人誌であり、洗練されたデザイン、多様かつ質の高い誌面で感服していた。後に結果的に一回限りとなってしまった、かりん若手歌人の同人誌「くくるす」を編集する際も「COCOON」を参考にした。十年はあっという間だと思う。「COCOON」で目にしていた歌人が第一、第二、第三……と歌集を上梓された。さて、「COCOON Issue40」の表紙には「10th Anniversary Celebration」と記されており記念号的な位置づけなのだろう。「COCOON 10周年に寄せて これまでと、これからへ贈ることば」が巻頭にあり、錚々たる面々が文章を寄せている。高野公彦の「『選歌はないが、批評はする』―そうした場が大切である」という「COCOON」の捉え方、「表現力を鍛えるために、やはり歌の選を受ける場も必要であると」という「コスモス」を念頭においた視点は、同人誌と結社誌の性質の核心を捉えているようであった。内山晶太は「COCOON」の充実をフルーツかご盛りと表現し文章を寄せているが、文章を読むと継続することの意義を繰り返し述べている。「くくるす」が一回限りとなったこともあり、継続することの難しさは身をもってわかる。同人誌は業務の負担や、各メンバーの帰属意識や動機付けのムラ、会計面など小さな亀裂を生じがちな要素が多くあるのである。十年継続したことは、巻頭に多くの歌人が言葉を寄せたように、縦断的な読者を得、雑誌自体に歴史が生まれるということだろう。小島ゆかりは「自分の繭」という散文で、メンバーが交代で大作を発表できるローテーション、結社外の歌集を読む機会、評論、それぞれの個性が出る頁を作るなど企画・準備段階を振り返っている。企画段階から「COCOON」のよい形が構想されており、繭という意味をもつ雑誌名がその名の通りに成果を結実していく予感があった。批評会もオンラインという柔軟性のあるかたちにしたのも、それぞれが負担感なく関与できる継続の秘訣だと思った。水上芙季の「COCOON誕生前夜」ではもう少し具体的に、業務分担や、当時の議事録および表紙の写真、作戦会議の写真などが掲載されている。ノートに手書きで書かれた議事録は、「COCOON」の歴史的資料であり、いずれ文学館に展示されるのではと思った。昨今のWordで作成しPDF化して共有するような業務形式よりも、手書きノートのほうがいいような気がしてきた。また、高野の視点は歌の質だけではなく、また、歌においてだけではなく、組織論的にも同人誌的な同好の士的要素が多様な創造性を担保し、結社的(本来、結社はソサイエティなのだが……)な官僚制が進行実務を担保し、相乗効果があるように思った。

評論においては、小島なお「史実に埋《うず》もれる声 満蒙開拓移民の人々の短歌」が勉強になった。戦後八十一年を経て、「かりん」でも五月号特集で「戦後八十年を越えて」が組まれたが、満蒙開拓移民については触れられていなかったため、新たな戦時詠の視野が開けた思いだった。小島は『昭和万葉集』第二を紐解き〈日本打倒と土塀に書きし大文字を読みつつ支那の児らはきほひけむ 南城屯〉などの歌を引きつつ、満州に渡った人々の体験を元にした歌と、日ソ中立条約破棄後にソ連兵が侵攻する中で敗走する満蒙開拓移民の歴史的事実とともに思いを馳せる。「彼らの短歌をあらかじめ過去に起きた『そのようなこと』として向き合う態度は後世を生きる私たちの傲慢であり、個々の作者の尊厳を歪める行為だと感じる」という結論の一節は全くである。戦争詠に対する無関心、冷笑、反感という態度からは何も生まれない。世界中で戦争が絶えない今日、より近い視点で過去の戦争詠を読み解き、人々は何が起き、どう考えていたかを検証する機会を要する。抒情も後世の人々が知り、鑑みるべき歴史なのであろう。

斎藤美衣は「死後の歌が接続する生」という評論を書いている。挽歌は分類として存在するが、斎藤は「自らは経験しえないはずの死を、あえて内面の出来事として引き受けようとする。そこには、死を『外から来るもの』と捉えるボーヴォワールの思考と、死を『内から想像する』詩的実践とのあいだに生と死の本質が立ち現れる」という言説から短歌に展開している。〈取り出されたる心臓を心臓のなき人間がしかと見送る 岡井隆『臓器』〉を最初に引用する。斎藤のいうように不思議な歌で、小酒井不木の小説『人工心臓』のような発想でむしろ不気味でもある。さて、「死後の歌」は古くは〈鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ 柿本人麻呂〉、〈願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 西行〉がある。斎藤のいう「死を想像することで生に揺らぎを与える」という要素は古代より短歌が内包しているものかもしれない。

COCOON執筆一覧」の頁が後半あり、巻頭詠・評論・歌集評・時評・エッセイの項目で、創刊号から四十号まで表で整理されており、次第に充実していく様が視覚的にも見て取れる。また、こうしたインデックス的な整理があると、後々探し物をするのにもよく、非常に助かる。誌面を拝読した雑感は以上である。短歌作品は改めて鑑賞していきたい。