二つのAIと心―「COCOON」issue40の短歌作品より

 掃除するロボットのそのひたむきなこころ天眼《てんげん》あらば見ゆるか 大西淳子

 掃除するロボットは、掃除機ロボットだけではなく、拭き掃除や極地用等、現在はさらに多様にありそうだ。しかし、今回は以前から普及していた掃除機ロボットのことであるとして読んでいきたい。掃除機ロボットは、物体を避けるなどのAIは搭載されていると考えられるが、ディープラーニングしないため生成AIが搭載されているわけではない。そのため掃除場面以外には対応ができないというフレーム問題が生じる。昨今の生成AI隆盛をみると、却って以前の素朴なAIは珍しい。大西はそのプロトコルの素朴さから人間的な朴訥さを読み取り、その美点は、仏教用語である天眼があれば見られるだろうかと考える。

さて、天眼という言葉は仏教用語であり、卑近な掃除機ロボットと対比させられているようで、人によっては些か唐突に見えることだろう。しかし、朴訥さに美点を見出すことは仏教的である。例えば、釈迦の弟子で、自分の名を忘れてしまうほど物覚えが悪い周利槃特は、毎日掃除を続けて悟りを開いたといわれる。その墓から薬味でなじみ深い茗荷が芽を出し、のちに茗荷を食べると忘れっぽくなるという落語の小話につながる。もしかすると周利槃特のことは念頭におかれていた歌であり、天眼というやや唐突な言葉は、掃除機ロボットの朴訥さを述べるだけではなく、周利槃特まで読み深めるための補助線であったとも考えられる。読者の記憶の網である意味ネットワークが逆算された巧妙な歌だと思った。

食べたことなくてもきつと「共感」が癖のあなたは嬉しいのでせう 磯川朋美

 こちらの歌は前後の歌を読むと、生成AIであり、Google社が提供しているGeminiのことを詠っており、歌中の〈あなた〉がGeminiのことである。「共感」という鍵括弧に意味が込められている。人間がする共感のような回路を持っている疑似性、それが回答の基礎にある点、その回路に縛られている点などが考えられよう。そのため、共感しなくてもよいことにもAIは半義務的に「共感」し、そのぎこちなさを人間が読み取れてしまう。そんなところに引用歌の次に配置されている歌では寂しさを感じている。引用歌は、それでいて「共感」ができるのはAI自体が嬉しい部分もあるのではないかと感じている。それは、人間とAIのやり取りの中で「共感」が、本来の共感に近づく過程があると磯川は考えているからではないだろうか。引用歌の嬉しいと、次の歌の寂しさのせめぎ合いは、磯川が存在を推定するAIの心である。

掃除機ロボットのAIにはない、生成AIの複雑さがある。いずれのAIに対しても大西、磯川はそれぞれの視点から心を見出している。AIに心があるという定説はないが、心を見出す場面があるということである。さて、ルネ・デカルト『方法序説』に動物には精神がないという動物機械論があったが、AIに心はないという現在の定説も、近い将来、動物機械論のように扱われる可能性もなくはない。引用した二首は互いに共鳴して、心とは何か、さらにAIを使用することに慣れた現代人の心は、心といえるのかなど内省的なことも考えさせられた。