歌集『右左口』をめぐる多面的な読み:三枝浩樹・北神照美・後藤由紀恵の論考を通して―「方代研究」(七十九)特集「歌集『右左口』を読む」より―

 「方代研究」(七十九)の特集は「歌集『右左口』を読む」である。前号の特集が「歌集『方代』を読む」であったので、連続して歌集特集が組まれているということになる。なお、『右左口』は岡部桂一郎が編集に加わり、ほぼ編年体である。戦後からの歌に遡って収録されているので『方代』と重複する歌もいくつかある。また、『方代』は少部数しか刷っておらず、一部、雑踏で方代自身が配っていたというので、『右左口』がメジャーデビュー第一作目という見方もある。

さて、三枝浩樹論「南天の実が教えたまえり―『右左口』再読―」は、「破調の文体」、「自己の根を求めて」の章立てがなされ論じられている。

深い穴があるのでどんぐりの実を一粒落としてみた

 三枝は「破調の文体」について、上記の歌などを引用し、方代の内の心の波と定型が折り合いの付かず、ときに方代の破調は目覚めるという指摘した。なるほどと思った。方代は破調の歌を散発的につくっているので、三枝の心の波と定型の不和説は都度思い起こされるだろう。引用歌の「深い穴」は三枝の読みによると心の穴であるといい、そこに「どんぐりの実を」落とすのは不可解な行動である。引用歌の内容で定型に収められ、なおかつ韻律にも配慮されていると、出来過ぎていてポーズのようである。そういった点からも三枝論は説得力がある。

かつてわれ兵に召されて忠節を励みて二つ星いただけり

 北神照美論「故里という悲しみ」で、引用歌について「辛いことだがまるで勲章をもらったように表現して、笑い飛ばすような強さとも読める」と評されているが、「二つ星」は勲章でも、勲章のようなものでもない。大日本帝国陸軍の一等兵の階級章のことである。一等兵は二等兵の一つ上なので、決して高い位階ではない。勲章である可能性も考察しよう。歌にあるような星のような形状となると、上級のもので菊を象っているものがあり星に類似している。しかし、そうした勲章を二つ頂いたとなるとやや突飛である。なおかつ、戦後の旧軍人に対する世間の風当たりの強さや、方代の戦争への嫌悪感を加味すると、軍国主義あるいは国家権力の権化である勲章という読みはあり得ない。やはり、ここでは一等兵の襟章が適当であると考える。さて、決して高くない位階である襟章「二つ星」であるとすると、「笑い飛ばすような強さとも読める」という読みも前提が崩れる。どちらかというと、生命をかけて忠節を励んで得たものが「二つ星」であったと、全体的に乾いたニヒルな雰囲気がある。位階の高低が問題ではなく、位階自体がナンセンスであるかのような物言いでもある。

右の手に鋤をにぎって立っておるおや左手に妻も子もいない

この歌について、北神は方代の故里へ繋がっていたいという思想から「妻や子を持つという変化を望まなかった方代だったろう。」と鑑賞しており、この点についても、方代はそうした理由で結婚しなかったのかといささか疑問が生じた。

はぎしりして鑕《かなしき》を打つ靴を打つときの間もあり広中淳子

指先をのがれし蝶のもどかしく吾が初恋はここに終れり

ちょうど次の論に、後藤由紀恵論「恋と戦争と」がある。上記の歌を引用しつつ、方代が「工人」に歌を出していた時代の仲間であり、恋の相手である広中淳子に触れられていた。方代はある日、初対面の広中淳子にいきなり会いに行くほど恋をして、また多くの相聞歌をつくった。もちろん結果は失恋であった。後藤は「批判を恐れずに言えば恋の先には結婚があり、自分の家族を作ることになる。幼い頃の家族は失ってしまったが、新たに作る家族はきっと自分に愛情を与えてくれるだろう。」と広中淳子への相聞歌をはじめとした方代の思慕に関して考察している。筆者が北神論を読んだときに、方代は能動的に独身になったのではなく、仮に広中淳子とであれば恋愛をし、結婚もしたのではないかと思ったため、疑問に思ったのである。後藤は方代が生涯独身であったことについて、自分の意思ではなく、戦争の影が覆い被さっていたと考察している。二十七歳で召集され右眼を失明したという事実により、結婚適齢期を戦争で棒に振ってしまったともいえ、社会的に似た境遇の男女が多かったにせよ、方代は疎外感を感じていたという。この点の抒情は先に挙げた三枝論にも通じるものがある。また、戦争のトラウマ、傷痍軍人というレッテルも方代の孤独を強くしたといえよう。いずれにせよ、方代の独身意識は、「妻や子を持つという変化を望まなかった」のではなく、戦争が全てを奪ったため余儀なくされたものといえる。そして、それは最終歌集『迦葉』まで通底する。