かりん集(「かりん」二〇二一・四)を読む

  結社誌の作品は歌友の近況を知るという副次的な機能もある。特に昨今コロナ禍で歌会がオンライン中心になり、今まで以上にその副次的な機能を感じ入る。


  追いつめて追いつめられて感情がのっぺらぼうに近づいていく 平山繁美


 前の歌に看護師としての歌もあるが、医療従事者は緊急事態宣言に関わらずずっと行動制限を職務上課せられており、さらに単純な発熱でも感染症対応をしなければならないという高負担の現場である。引用歌には具体的な描写はないが、長期戦で疲弊していく現場で自我を殺し続けていく状況が慢性化している様子が表現されている。のっぺらぼうという柔らかな表現であるが、鋭い表現にしようと思えばいくらでもできたはずだ。のっぺらぼうに抑えたところに平山の文学的な態度がみえる。


  蛇口からみかんジュースが溢れでる空港ロビーは今、静かなり 檜垣実生


 きっとポンジュースが出る夢のような蛇口があるのだ。一首で読むとコロナ禍の歌であるという読みで終わってしまうが、〈人格をなくしたように抜け落ちたまゆげまつげの生れくるかゆさ〉という闘病が一段落した歌もあり、退院ののち世間が様変わりしたという浦島太郎になったような抒情があるように思える。様変わりした光景で象徴的だったのがポンジュースの出る蛇口のある空港ロビーであり、ポンジュースは風土なのだと読んでいて思った。


  この癖字書くひとのこと想像し缶ビール飲む楽しき日暮れ 長谷川典子


 SNSもメールもそうだが、ITでの交流が当たり前になりいつでもつながっている(ように思える)私たちは、案外つながっていないのかもしれないと思わされる歌である。手書きの手紙のほうが癖字や、ハガキ、切手などからも送り主の個性が出るからだ。また、いろいろな手紙があるが、一生大切にしたい手紙というのもある。一生大切にしたいメールを保存し続けるのはハガキより難しい。ましてやSNSをや。缶ビールというモチーフも癖字の主を想像しつつ、主と杯を傾けるような雰囲気がある。

 作品から生活の厳しさも垣間見える。読者もそれぞれ何かしらの困難を抱えているはずだ。そんなときに作品に共感し、ときに励まされ続けるのが短歌のよさである。文学とヒューマニズムに停滞した状況を突破する力があると信じている。