小倉孝誠編著『世界文学へのいざない』を読む

  世界文学というとスケールが大きくていまいちピンとこない。本書冒頭に「そもそも文学はしばしば危機を経験したのであり、その危機を克服して新たな創造性を示してきたのである」と書かれており、文学とは社会の表現であるという立場に立っている。アプローチは様々だが、社会的な視点から見ると文化や時代、社会構造など作品を読み解くのに多くの補助線が引ける。また、例えば「都市と表象」の章でディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』、ベンジャミン『一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代』、バルガス・リョサ『都会の犬ども』が取り上げられ、コラムとして「文学的表象にみる都市と田舎・郊外」という文章が掲載されていると、それぞれが共鳴し都市文学のジャンルへの理解が深まる。本書のようなアンソロジー形式だと、各主題内の比較文学的な視点や、各主題間に普遍的に存在する文学性などの示唆を得ることができる。ひとつひとつの発見は文学の面白みや作家の苦悩への共感を生み、気づいたら世界文学というジャンルに愛着をもっていることに気づくだろう。特定の地域や作家を深く探求することも面白いが、多くの作品を楽しみ鑑賞することも健全な読書の楽しみである。

 「家族の変身物語」ではカフカ『変身』が取り上げられている。言わずもがな主人公がある日得体の知れない毒虫に変身してしまったという物語だが、本書では長男の毒虫への変身が、家族を豹変させることを紹介している。『変身』を以前読んだときは流してしまったっが、父は家父長的になるし、弱々しい妹は慈悲深くなり次第に家族を引っ張る存在になる。長男は変身前は家族に献身的な存在であったが、毒虫に変身したのちどんどん毒虫らしくなっていく。カフカの思想や、長男の存在の危うさや、家族システムの脆弱さなどいろいろ読み方はあるだろうが、本書では紙幅もありそれ以上は追及せずオープンエンドとしてまとめている。作家論や作品論というよりは、同じ主題の作品との共鳴を楽しむというのが本書の意図であろう。家族が主題の作品でも、『変身』のほかに「血族と共同体」という視点でガルシア・マルケス『百年の孤独』や、東洋的な家父長制としての家族である巴金『家』なども紹介されており、読者の読んだことのある本と未読で気になるような本がうまくミックスされている。文学とは社会の表現であるという立場に立つならば世界文学は時代にあった鑑賞が求められる。地域や時代を超越して文学作品は読者に興味深い示唆を与え続ける。積読家には本書は危険である。さらに本を積むことになる。