毎日新聞学芸部編『よみがえる森鷗外』を読む

  木下杢太郎は森鷗外をテエベス百門の大都と表した。テエベスとはテーベのことで『世界宗教用語大事典』によるとエジプトの古代都市で紀元前二千年頃から首都になり、紀元前十六から十世紀頃から繁栄したとされており百門の都と称されたとされている。繁栄した期間の長さや未開拓地多き古代において想像を絶する都市だったのだろう。杢太郎は「東門を入っても西門を窮め難く、百家おのおの其一両門を視て而して他の九十八九門を遺し去るのである」(二〇一六・三/『木下杢太郎随筆集』)と述べており、鷗外の博覧強記、多才ぶりを例えるのにテエベスを持ち出すほど感嘆していた。

 テエベス百門の大都のことを再び思い出させたのは『よみがえる森鷗外』(二〇二二・一二/毎日新聞学芸部編)を読んだからである。本書は四十一名が作家や研究者、ジャーナリスト、そして歌人の視点から鷗外について文章を寄せている。どの執筆人もその筋の第一人者で、面白いのは各々鷗外について思い寄せが強いことだ。

 町田康は「熟々《つらつら》思うのは、自分はゴミカスだ。と云《い》うことで、なぜかというと物書きの看板を上げてもう二十年にもなるのに森鷗外にちゃんと向き合ってこなかったからである」と書き出している。読者を“つかむ”冒頭で作家ならではだなと思いつつも、作家という立場では森鷗外はやはり無視できないということだろう。森鷗外は陸軍軍医総監と重鎮作家という当時は両立するのに困難な二足のわらじで歩み、世界情勢上も自身でどうにもしがたい立場におかれていた。ゆえに社会と個人の葛藤において、自己の立場を受容する諦念(レジグナチオン)の思想がある。『かのように』はよく諦念の例に出されるが、『高瀬舟』の安楽死などもそうだろう。本書では作家であり医師である草川草介が文体に惹かれたといいつつも、安楽死、尊厳死という観点でも読んでおり『高瀬舟』は生命倫理の論点で読むのは順当かつ新鮮かもしれないと思わされた。

 高橋源一郎は『あそび』という短編を紹介しており、筆者はとりわけ面白く読んだ。鷗外自身をモデルにしており役所勤めをしている作家の主人公について書かれている。役所の同僚が主人公に「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活は矛盾していて、到底調和が出来ないと云《い》ってあったっけ。あれを見たかね。」と話しかけられ、主人公は「どうも思わない。作りたいとき作る。まあ、食いたいとき食うようなものだろう。」と答える。そして役所の仕事に戻ったときにそれが「あそび」のように思えてくるという。真剣にやっているのにも関わらず。役所でも課長が不真面目な男だといい、文壇でも批評家が真剣でないと貶す。別れた妻からも茶化しばかしいらっしゃると非難された。誰からも「あそび」だと思われるが主人公はそれでいいのだと思っているという。現代の兼業作家も同じような心持ちがありそうだ。夜や休日は文学や哲学、思考は古代から未来へ、世界や宇宙に及びときに筆を進める。平日日中は極めて俗っぽい人間関係に浸かったり、自らの存在理由には関係のない数字を追い求める。どうも真剣になれず、心が宙に浮き、少し上の方向から生活者である自分を見つめてしまう。まるでおままごとをしているように。歌人の坂井修一は〈勳章は時々《じじ》の恐怖に代へたると日々の消化に代へたるとあり〉を引用して、皮肉なユーモアをたたえた歌、渋い大人の歌い方、そして「知識人の詩的随想と読むのが素直な鑑賞と思う。」と述べている。勲章や勲章に込められた社会的立場、軍部や文壇を諧謔するところに『あそび』にみられた「あそび」の要素が引用歌にもみられる。

 百も門があるのだからきっとお気に入りの門が数箇所みつかるはずだ。門の先はどこかで繋がっているがそうでないこともある。たとえば伊藤比呂美は森鷗外は女性(作家?)に理解があるというが、黒川創は鷗外に隠し妻がいたことや、衛生学の研究として将校の性欲の解消の問題を取り扱っていることから女性を機械視する視点があったと述べており、二足のわらじの葛藤も極まっている。しかし、テエベスの中心には他ならぬ森鷗外いや森林太郎その人が居るだろう。遺言状に「森林太郎として死せんとす」、「墓は森林太郎墓の外、一字も掘るべからず」とあるように最後は鷗外その人に行き着く。本書は数ヵ所その門を巡るガイドブックのようなものかもしれない。