ネットプリント「nebokemanako」を読む

   痩せ蛙 カンディンスキーの抽象画のような時間を大事にしたい

  あばら骨の内側を撫でられているみたい、マッチングアプリの広告

  孤独さと天文学を天秤にかけてきれいな夕立が降る


 古河惺ネットプリント「nebokemanako」は一〇八首が紙面にぎっちりと収録されている。今回は乱暴にも三首抄出して鑑賞することで本紙の読みとひと方向を見出だしたい。一首目はロシアの抽象画家ワシリー・カンディンスキーが題材になっている。カンディンスキーの抽象画は複数の要素やモチーフが幾何学的に色とりどりに配置された作品が印象的で、時代の荒波に揉まれながらも多くの鑑賞者を得た。作品自体に小さな宇宙や生態系を構成するような空間性がある。ひとが過ごす猥雑な時間、さらに迎えて読みすぎかもしれないが、宇宙の時間感覚や、他の生物種の時間感覚も踏まえており、そのカオスを大事にしたいと詠っている。長い下句はカンディンスキーを援用しているが、初句で痩せ蛙を衝突させている。ミクロコスモスとマクロコスモスのように捉えればいいか、カンディンスキーの抽象画のような時間の象徴が痩せ蛙に集約されるということなのか読みきれないところはあるし、それらを痩せ蛙だけで支えられているかは難しいところだが面白い見立てだ。二首目は上句の身体性が生な感じがする。現実的にあり得ないが抒情としてわかる身体感覚は幻肢痛のようである。詩的な入りから下句のマッチングアプリという俗な展開は落差が大きいが成功している。マッチングアプリの市場主義的な恋愛、人間観にあの幻肢痛にも似た違和感を感じるというのは読者としても納得感があるので、詩的なイメージから俗なモチーフへの落差があっても安定感のある着地ができた。さて、三首目は古河の歌の志向性が表現されており、最後に抄出した。二首目にみられる内向性や孤独さは作品全体に通底している。そして天文学に象徴される言葉のセンスや詩的な志向性は一首目などにみられるものだ。孤独さと、詩的言語である天文学が絶えず天秤のうえを揺れるようにして歌を詠んでいるのだろう。では、きれいな夕立とは何だろうか。確証はないが夕立のように上から下に降る数行、数十行にもなる短歌のことなのかもしれない。