窪田空穂の環境批評試論 里山からインドラの網まで

  窪田空穂の歌を読むと日本アルプスや富士山、低山、里山、郊外と自らのとりまく環境が詠われていることに気づく。また歌以外に序やあとがきなど歌集に付随する散文を読むと意識的に自然を詠んでいたことがわかる。本稿では全歌集通読しながら、空穂は里山、深山等、取り巻く自然をいかに詠ったか鑑賞していきたい。


  蒸れくさる蚕糞《こじり》のにほひ、ものうげな馬の嘶き、村は夜に入る。『空穂歌集』

  さくさくと草を刈る音、しづかにも沼をわたりて聞こえ来るかな。

  何といふ清さぞここにある見れば牛の糞《ふん》それもみにくからぬかな

  地のすべて人寝《ぬ》る家とするがにも麦畑ひらき家あまたつくる 『鳥声集』


 まず、空穂の原風景でもある里山の歌が印象的である。今日ではいわゆるSDGsのキャンペーンの影響で里山が見直されており、環境省のウェブサイトでは「里地里山とは、原生的な自然と都市の中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域です。農林業など伴うさまざま人間の働きかけを通じて環境が形成・維持されてきました」と定義づけられ、自然から恩恵を得るだけではなく、都市と自然が地続きながらも双方成立するよう折り合いをつける役割が定義に盛り込まれている。一、二首目を読んだときに『空穂歌集』の吉江孤雁の序文が歌の世界観をいい表していることがわかる。孤雁は、空穂の郷里として中央信濃の高原を想像しながら、四季おりおりに野火や雲霧、雪、霜などが高原や山々を彩る。またいにしえの人々に恐怖を引き起こした自然と戦って、土とともにその地の人々は生活していることを述べている。いわゆる、前述の里山であり、空穂は故郷であり里山を詠う歌人なのである。一首目は村の産業である養蚕、家畜である馬の嘶き、どちらも村の財だ。二つの財が夜になるにつれて、昼の役割から解放される。書かれていないが、村人も夜に入ることで過酷な昼の労働から解放される。幾代も繰り返されてきた生活を現象学的に観察して、ある美を見いだせるのは、村の生活者でもあり、外部からの眺める人でもある空穂ならではの視点だ。二首目は草を刈る音と、沼の静けさが対比されている。沼というビオトープは魚、昆虫、鳥などで生態系が成り立っている。人間はビオトープから安らぎを感じても、あくまで主役は小さな生き物たちの生態系である。その向こうから草刈りという人間の音が聞こえる。主体がいるところは人里とビオトープの境であり、里山である。三首目は清らかなところにあれば牛の糞も不思議と醜く思わないという笑いを誘う歌。この歌では自然はピュアであるという認識が前提にあるが、牛の糞は醜いという人間中心の固定概念から脱却した歌ともとれる。四首目は里山に対して批評的な視点で、大地は人間の土地とでもいうように開拓する様を詠んでいる。環境省の定義のような、自然と人類の調和としての里山像は現代のもので、元々山という手付かずの自然を人為的に切り開いたのが里山であることを近代の視点から再認識させられる。里山に関する言説は外部から語られることが多く、国際連合大学高等研究所では、里山とは或るランドスケープであるとしている。ランドスケープは外部からの視点であり、実際の生活や民俗行事などが染みついた、いわゆる場所としての里山とは異なる(結城正美・黒田智編著『里山という物語 環境人文学の対話』、二〇一七・六/勉誠出版)。この歌においてはさらに厳しい批評がある。空穂にとっての里山は農村であり、郷里の原風景である。その地に根差した生活に親しみと厳しさを感じながら歌にしているのである。


  人といふ生物《いきもの》住むはいづこぞや見はるかせど山の空につづきたれ『鳥声集』

  生物《いきもの》はここに生かさず槍が岳天《あめ》の真中に聳えたりけれ

  槍が岳そのいただきの雪にさくくれなゐの百合手触《たふ》れ難しも


 連作「日本アルプスの歌」から引用した。紀行文『日本アルプスへ・日本アルプス縦走記』を著書にもつ空穂は、山の歌人としての側面ももつ。登山が今日ほど定着していない空穂の時代、山は原生自然そのものであった。一首目は人が生態系として山に存在しないなか、空穂は人ならざるものの視野から景色を眺めている。二首目は槍ヶ岳の厳しい自然環境に適応できる生物が少ないことを詠っており、下句で天の真ん中に聳え、他の大地と関係性のない位置関係にあることを念押ししている。先述した里山の歌にみられない厳しく超然とした自然が詠われている。三首目ではそんな槍ヶ岳に紅の百合を発見する。厳しい自然に咲く百合の希少性や、生物としての尊敬が歌に込められている。原生自然を表す言葉にウィルダネスというものがある。小谷一明・巴山岳人・結城正美・豊里真弓・喜納育江編『文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック』(二〇一四・一一/勉誠出版)ではアメリカの原生自然法の定義である「風景に人や人工物が介入せず、大地と生命のコミュニティが人によって拘束されていない地域」を基礎にしつつ、アメリカの植民地を巡る歴史や、自然国家を目指す十九世紀のアメリカ・ロマン主義文学、生態学・倫理的側面から捉えた土地倫理などを紹介しつつ、個人の心的基準に依存する多義的な概念であると結んでいる。日本アルプスは空穂にとってウィルダネスであるが、古今和歌集以降詠まれていた花鳥風月とは異なり、また、国木田独歩がありふれた自然風景に美を発見した『武蔵野』とも異なり、人が介在できない厳しい風景を歌っているところに環境批評的な特徴がある。


  くだり来てあふぎ見すれば焼岳や我殺さざりしことのあやしも


 焼岳の一連で、「青くかがやく高山に取り囲まれて、全山焼けただれて白く変りはてながら、尚ほ熾んに煙を噴いてゐる焼岳を見た時には、私は自然の威力に驚いたよりも、むしろ怖いと感じた。」という詞書が付されている。槍ヶ岳の詞書が「槍が岳の絶頂に立つと、我等は世界の荘厳と、その気息の身に近く感じられるのに対してただ眼を見張り、息を呑むのみであつた。」と荘厳で侵しがたい神的なものを感じているのに対して、焼岳は物質的というか動的な印象を空穂は持っている。当然ながら山にも性格があるようだ。一首目は焼岳を擬人化している。気性の激しそうな焼岳を案外面白く思っている。さて、『鳥声集』は次女なつを喪った時期の作品が収められており、挽歌もある。空穂自身、人の手のついていないウェルダネスである日本アルプスを登ることで、また、人事から超越した環境に身を置くことで逆縁という人生の危機を乗り越えようとしたのかもしれない。


  たまきはる命《いのち》凝りてはぬばたまの闇を押し分け進み行きつも 『泉のほとり』

  踏みてゆく闇につらなり何なれか光りひろごる隈べの見ゆる(湖畔)

  マチの火の燃ゆるを消しつぬば玉の闇はわが眼をうち叩くらし


 富士山周辺の歌を引用した。引用歌の次の歌に「西の湖より精進湖に到るまでの三里に余る樹海を夜に入つて越えた。辛くして精進に著くと、土地の者も危険として敢てしないことだと云はれた。」と詞書があり、危険な夜の行程であることがわかる。富士の樹海もウィルダネスで、引用歌は周辺にある質量をもって占めている漆黒と、それらを照らす生命が詠まれている。一首目は枕詞を二つ使うことで命と闇の対照を強調している。数人の命が固まって、闇の塊を押し分けていくという、命と闇に質量を感じている。闇とはいえ押し負けると命が消えてしまうという本能のようなものが言葉で表現されているのかもしれない。二首目は命と闇の戦いのなかで、湖畔に光がみえる。月の光が反射しているのかもしれないし、蛍かもしれない。何なれかと特定しないのは、特定するほど余裕がないのか、闇が強く判別できるほど光がないかである。三首目はマッチを消すと闇が目を叩くように感じるほど重圧感があるという歌。日常生活では何かしら明るくこれほど闇を感じることはないが、ウィルダネスはときに人間の存在を打ち消そうとするほどの闇が存在する。いわば土地の倫理に基づいて万物は存在している。


  風に舞ふ土ぼこりすらおのがじし命を持ちて生くといはずやも 『泉のほとり』

  地《つち》の中《うち》に隠ろひましてわが母はみどりの草となりたまひける

  其子等に捕へられむと母が魂《たま》螢と成りて夜を来たるらし 『土を眺めて』

  疲れては倒れ臥したるわが上に、山を動もし夜を滝鳴る。 『空穂歌集』


 空穂はウェルダネスや里山で自然を詠むだけではなく、自我に引き付け自然と交感する。一首目は詞書に「亡児の面影が胸にうかんで来た。外には暮春の風が吹いてゐる。」とあり土ぼこりに人生観をにじませる場面を説明している。亡児の面影だけでは成立せず、暮春の風だけでも成立しない。引用歌は両者が揃って成立する抒情である。自我や抒情を自然に託す交感は人間中心主義的という批判があるが(『文学から環境を考える エコクリティシズムガイドブック』、二〇一四・一一/勉誠出版)、成立に自然と歌人という二つの要素が不可欠であるテキストは、人間中心でも、脱人間中心主義で自然中心でもなく、人間の抒情と自然の接点に位置する。交感の文学は様々だが、こと引用歌については人間中心主義であるという批判は当たらないと思われる。二首目は母の死を土のなかに隠れると表現するが、いわゆるあの世という意味での草葉の陰に近い表現。歌では母は一度土のなかに行き、その後みどりの草に生まれ変わる。草葉の陰という表現よりも動きや変化があり、特にみどりの草として萌え出るという再び生まれるように詠っている。光景としては大地に根差す渋い歌なのだが、空穂が信仰するキリスト教の復活のモチーフもあるように思える。三首目はよく引かれる秀歌。螢が子に捕らえられようとすると、亡き妻を重ねてでがあるが、螢が主体になっている歌で、人間より中心軸は螢に近い。空穂の交感の歌は中心軸が自然と人の中間に存在する抒情に定められており、歌によってどちらに寄るか異なる。四首目は自らが大地になり、その上に山や滝があるという奇想の歌である。大胆な歌だが上句に疲れはてた主体が浮かび上がり、下句は空穂の故郷や日本アルプスの景色である。疲労ゆえに夢うつつの状態または現実逃避しているなかで、原風景が魂を癒しているとも読める。


  護国寺の祖師堂の縁に住みつける若き男あり乞食なりとぞ 『老槻の下』

  祖師堂の庭掃き清めしちりんと鍋一つ持ちて足るこの乞食


 空穂は田山花袋主筆の「文章世界」に寄稿していたこともあり、自然主義文学の影響を濃く受けている。日本大百科全書によると、近代文学において写実主義の深化と、西欧の自然主義の日本的消化に自然主義の日本的展開をみる。フランスのゾラに立ち返ると自然科学の客観性と現実性を取り入れたことから、人間を外部から観察し記述する人類学的視点があるともいえる。さて、引用歌はオケイチャンというホームレスの男を写実的に描写した歌である。オケイチャンは住民票や社会保障、家庭などの社会から逸脱している一方で、地域の住民との交流がある。二首目のように祖師堂の庭を掃いたら謝礼をもらうことができ、数日食いつなぐことができる。社会学的にいうならゲゼルシャフトには属せず、ゲマインシャフトに所属していることになる。この人間の素朴な姿は田山花袋著『重右衛門の最後』にもみてとれる。『重右衛門の最後』は主人公が学業を修めたのち、同窓の故郷である長野県塩山村を訪れたところ、重右衛門という中年の男と、身を寄せる少女がおり、村に放火するため方々でボヤ騒ぎが起こる事態にみまわれている。重右衛門は先天的不具と時代の流れによる不遇で無頼の徒となっており、運命を呪うかのように村に火をつける。火を実際につけるのは身を寄せる少女で、その野生児めいた俊敏性に尻尾すらつかまれることなく火をつける。『重右衛門の最後』については榊原剛が「ノーマライゼーション 障害者の福祉」(二〇〇五・一一)で、花袋は重右衛門の無頼について母方の人殺しの血統に起因するような表現をしていることや、野生児めいた少女にエゴイズムや本能的、動物的な性格を表したと解釈し、そこに深い人間洞察があると結論づけている。人間は無頼である、動物的であるとすぐ結論するのは早計だが、重右衛門や少女のように人間を中心とした社会から解離すると、自然界に存在する一生物としての、ヒトとしての要素が強くなるのかもしれない。空穂のオケイチャンの歌は『重右衛門の最後』ほど饒舌ではないが、あえてホームレスであるオケイチャンの生活を細かく描写したのは、社会に生きる人々に見いだせない何かを見いだしたからであろう。


  愛づとふは言《こと》の過ぎたり人が住む大地はなべて木草の世界 『卓上の灯』

  香にたてる八重紅梅の花むらに虻すがりゐて酔ひて動かず 『老槻の下』


 空穂は晩年近くなってくると外出する機会も減り、近辺の木草により親しむようになる。一首目の木草はキーワードとなり、庭先の自然を総括しているようである。歌集『木草と共に』のあとがきに、


 私は若い頃から、地上の大部分を占めていたものは植物で、人間はその植物に寄生しているもののごとく思って来た。これは今から思うと観念的なものであった。老境に入ると、この観念はうすらいで、美観に代わって来た。あらゆる植物が皆美しく、生きて、静かにその美を変化させており、深く、測りがたいものを蔵しているように見えて来た。その点を対象とした短歌が少なくない。また心に思うことを、木草をとおして具象する場合があり、おのずから象徴となって来ている。


 と書かれており、空穂の晩年の自然詠の自歌自注ともいえる文章である。一首目は収録歌集が異なるものの、植物の愛着があとがきと呼応するようである。里山やウェルダネスという環境批評のキーワードを超越した境地で、現代人の住む大地は昔も今も木草の世界であるという、人にも自然にも寄らない広い把握がある。〈命一つ身にとどまりて天地《あめつち》のひろくさびしき中にし息《いき》す 『丘陵地』〉に共通する視野でインドラの網のような広さがある。インドラの網は華厳経において帝釈天の宮殿を飾る網で、その結び目の宝玉は互いに映し合い、一切のものが障害なく関連するものであるというものである(『デジタル大辞泉』)。宮沢賢治は「すっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました」(宮沢賢治『インドラの網』一九九六・四/角川書店)とインドラの網を描いており、賢治も空穂も文学だけではなく宗教的世界をもっているため共通する視野の広さがあるのかもしれない。その広さのなかに二首目のように梅と虻の享楽的ともいえる小世界があり、それらがインドラの網の宝玉的にいくつも存在する。環境批評は「生態系におけるエネルギーの流れと同様の関係性を作家、文学作品、そして読者のつながりの中に見出し、そこで相互依存と共生の意識が生み出されることを期待している」、「地球中心のアプローチをとる」(ASLE-Japan/文学・環境学会、https://asle-japan.jimdo.com/%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%94%A8%E8%AA%9E%E9%9B%86/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0-%E7%92%B0%E5%A2%83%E6%89%B9%E8%A9%95-ecocriticism-environmental-criticism/、最終閲覧日二〇二三年六月八日)という視点があり、空穂と自然の交感も環境批評的に読むことはできるが、生態系におけるエネルギーの流れや地球中心という或る理路整然とした西洋的、合理的な考えを超越し、渾然としながらもインドラの網のような世界を描くところに空穂の自然詠はあるように思われる。

 空穂はあとがきにあるように植物に心寄せし、植物に限らず山々も登り、自然を多く詠んできた。老年に差し掛かり自身の文学、人生観、自然との交感が深化していき、最終的には環境批評のキーワードでは評しきれない広大な世界の把握をするに至った。本稿で全歌集を通していかに空穂が自然を詠ったかについて鑑賞したが、言及しきれていない歌や、随筆や小説、古典評釈など鑑賞がまだ及んでいない箇所がある。さらに空穂のテキストを読んでいき分析を重ねたい。