浅井美也子歌集『つばさの折り目』を読む

 結婚をすると女性に専業主婦、母、妻などの社会的役割が生じる。それはジェンダーや家族システム、夫婦と論点が若干異なりつつ付与される役割である。


  野薊のみだれる箱庭ひたぶるにきみもわたしもただの親鳥

  鬱金香かなしきほどにひらきおり雄しべ雌しべも剝きだしにして


 冒頭の連作から引用した。一首目はきみとわたしが親鳥に例えられている。野薊のみだれる風景は美しく、風や自然の感じが出ているが、箱庭の箱という語に閉塞感を感じる。このアンビバレントと、ただの親鳥という突き放した言い方で家族に対して陰りやドライになりたい心境が読みとれる。二首目は、チューリップの生殖器官である雄しべ雌しべが明け透けになっている様をかなしきと受け止める。二首とも家族の在り方を題材にしており、取り分け“子どもをうみ、育てる”という要素がある。現代ではステップファミリーやDINKSの家族も珍しくなくなってきたが、社会学者のタルコット・パーソンズの有名な家族機能の論ではいくつかあるなかで「①夫婦の愛情を育て、性的な欲求をみたす、②子どもをうみ、育てる」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より「タルコット・パーソンズ」の記事における「家族の機能」の解説)が位置づけられている。歌集中に専業主婦は「絶滅危惧種」と自嘲気味に詠われているが、決してそうではなく、拡張していく家族概念のなかで、鑑みることの少ないように思った。


  後ろからなら抱きしめることできる男とねむる百年の孤独ほどを

  われからも子からも頼られきみの身のデクレッシェンドになりゆく週末

  一日中そばにいるのも嫌な日は遠くに干せり夫の下着を

  同じもの食むうち同じ考えをもちはじめたり夫という男


 夫の歌は翻すと主体が妻である歌である。上句のニュアンスが案外難しいが、正面から抱き締めるのではなく、そっと背後からなら抱き締められるという、気恥ずかしさと読むのがよさそうだ。百年の孤独はガブリエル・ガルシア・マルケスの小説をもじっているのだろう。小説のほうは架空の一族が村を成し、近親相姦で奇形児が産まれ、タブー視するというものであるが、そこまで加味すると読むとやや歌が物々しくなる。二首目は頼られる夫の様子を戯画的に描く。この歌などから読者は文学的な雰囲気が漂いつつ、微笑ましさのなかに屈託のある一家を描く。三首目、しばらく読み進めると夫の歌がまた出てくる。コロナ禍で自宅にいることが長くなった夫だが、露骨に嫌がられている。一般的な話として、現実の家族関係は当然のことながら、ときには釦の掛け違いが生じる。しかし、歌集になるとある程度濾過されるのか、夫婦の関係が固定化されることが多い印象がある。しかし、本歌集のなかでは夫を案じたり、夫に身を寄せたり、避けたりする。この夫との関係性の動的な感じにリアリティがある。


  七歳が弾道ミサイル発射して二歳がたおれる午後のリビング

  貝型のお守り揺れるランドセルそっと押しやる明るき方へ

  口パクで悪態つきつつ床をふく良き母さんの背中みせつつ


 一首目は子の遊びの一場面であるが、弾道ミサイルという遊びにそぐわないものが自然と組み込まれてしまう。連日のように弾道ミサイルの発射の報道があり、珍しくないものになってしまった時代、そしてその時代を生きていく子への思いがある。二首目の貝型のお守りは魔除けの意味もあるようだが、ひな祭りに蛤を食べるような、貝合わせのような良縁祈願も想起される。社会や時代の混沌のなかで明るき方へという詠い方は切実である。三首目のような自己戯画化した歌も面白く、口パクで悪態をつく様は主体の強い思いに裏付けられている。冒頭で感じた陰りはない。


  帰りくる海にあらずやわたくしは凪の少なき港であれば

  さやさやと秋めく夕の厨辺の油に放つ茄子の濃紺

  わたくしの殻につまったかなしみを背負うときふいに足強くなる


 母、妻としての主体が歌を通じて出した答えの一つなのではないだろうかと思った歌を引用した。家族が帰ってくる港である時点で特別な存在であるが、凪が少ないという。凪が少ない港でも帰ってくる家族を信頼しつつ、たまに後ろめたさを感じつつといったところだろうか。二首目は茄子の色彩や、秋の油の爽やかな健啖性が気持ちいい歌だ。胃袋を掴まれるというのはもう昔の結婚式に登場する文句のようだが、このような歌を読むといい得て妙だとつくづく思う。三首目は歌集を通読して読むと深いところで共感を覚える。家族詠が多い本歌集だが、ただ日常生活が展開するわけではなく、生老病死が近い距離でたちあらわれる。人は、愛する家族であっても生まれ老い、病み、いずれは死んでしまうのだから。わたくしの殻につまったかなしみは心象の喩えであるが、家そのものなのかもしれない。家族の物語が家の空間を重厚に占め、それが愛しく、哀しいものであるときに、足に力が入る。その強い主体の立ち姿が深く印象に残った。

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