永田和宏歌集『わすれ貝』を読む

 「ほとんど記憶の彼方に霧消していったはずのリアルな感情が、歌を読みなおすことによって、まざまざと蘇ってくるのは、歌を作った人間でなければ実感でいないところであろう」という一節が帯文にあり、帯文はあとがきから抜粋されている。今という時間軸がある限り、未来は現在に、現在は過去になり、それを歴史ともいうが、個人のリアルな感情は何かに書きとめないと霧消する。また、リアルタイムに書きとめられるかという問題がある。永田のいうとおり、どこかで歌を作ろうと動機が高まり、ふり返ると記憶の断片が次第に定型を成す、その過程でまざまざとリアルな感情は蘇ってくるのかもしれない。

 

抜けましたねえ、ええ抜きました午後深く陽気な患者と陽気な主治医

 

 一首目は冒頭の連作「血管を抜く」から引用した。血管を抜くとは驚くべきことであるが、歌のようにいわれると拍子抜けをした印象があり、現実と戯画化の落差が大きい。引用歌は血管を抜いたときの医師との会話だが、何が抜けたかは歌では明記されていない。ゆえに陽気な応答のなかでは、血管を抜いたということだとは、一首ではわからないほど楽し気な雰囲気がある。医学も科学であるから、科学者の永田にとっては、治療内容やリスクを深いところで理解できており、血管を抜くということは一般的な認識以上には驚くべきことではないのだろう。〈引き抜きしわが血管をもらひうけ洗ひゐるなりお茶部屋の流し〉、〈見せてやると言つてゐるのにイヤアーとか言ひてこの頃の女学生つたら〉とむしろ興味深そうにしている。実際は気苦労も多かったと察せられるが、入院も過去のものになったときに、相対化されて戯画的に詠えるようになった。

 

夜ごと夜ごとモントリオールの旧市街 淳と飲みたりわれの息子と

  はるばると藥《くすり》をもちて來《こ》しわれを目守《まも》りたまへりわれは子《こ》なれば  斎藤茂吉『赤光』

 

歌にあるとおりの歌意であるが、結句の念押しに家族に対する思いの強さが表現されている。結句で続柄を念押しする歌は茂吉の「死にたまふ母」にも何首か収録されている。そのうち一首を引用した。茂吉の歌は、母が目守る理由は、茂吉が母の子であるからであると、読めばわかり得ることを念押しし、どこか自負のようなものを感じる。永田も結句の念押しにも抒情がある。念押しは、自負や霧消する記憶を歌として蘇らせ、固定化する意図があるのではないかと思った。血管の歌のような歌も読みどころだが、本文冒頭に引用した帯文の一節は、やはり家族詠を想定したものなのであろう。

 

植ゑたのはわれらだらうが咲かせたのはきつとあなただ このやまざくら

 

 この歌の前に〈あなたのために淳が植ゑたる山桜七年ののちの春に咲けるも〉という歌があり、その歌の詞書で〈喪の家にもしもなつたら山桜庭の斜《なだ》りの日向に植ゑて 河野裕子〉と歌が引用されている。返歌を通じて、時を超えて家族と会話しているようだ。しかし、現実の作中主体は、連作冒頭の歌〈百点の桜なのだが庭椅子にすわりてひとり見あげてもひとり〉のように孤独と漠とした気分のもとで桜を眺めている。

 

「何といふ顔」もて歩む九年後の春日通りをあの日のやうに

 

〈何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない 河野裕子『日付のある歌』〉の返歌というかたちで、こうした歌もある。河野の歌は心打たれる絶唱で、誰もが知る歌でもある。引用歌の〈「何といふ顔」もて歩む〉は当人である永田ではないと詠えない。九年の歳月を経て〈あの日〉のリアルな感情が蘇ってきたのだろう。

 

TIFFANYGUCCIに挟まれ五番街Trump Towerを彼らに教ふ

 

 さて、最後に筆者が本歌集を読んで気になったことのひとつに、現代的な風俗と英語を詠み込んだ歌がある。歌集を通読すると引用歌のような歌が所々みられる。これだけの数をそのまま短歌に詠んでも浮かないのは何故なのだろうか。英語も含まれた言語感覚、韻律感覚があるということなのだろうか。心を打つ家族詠の数々とともに、こうした衒わない技に唸った。