上川涼子歌集『水と自由』を読む

 バシュラール・ガストンは水について『水と夢―物質的想像力試論』(二〇一六・一/法政大学出版局)で、われわれが今なおそれを生きているイマージュであり、瞬間ごとに死に、その実体のなにものかたえず亡びていると表現している。老子には上善は水の如しという一節があり、荘子には君子の交わりは淡きこと水のごとしという言葉がある。上川の歌集『水と自由』の標題を読んで思ったのは、水は多くの文学的なモチーフになってきたが、本歌集もそうした水の系譜を受け継ぎつつ、さらに膨らませるものであろうということである。

 

春宵にこつりこつりと円を描く銀のコンパス、そして青鷺

沈黙が純正律に限りなく近づく夜のチェス・プロブレム

 

 一首目は銀のコンパスという道具、それが円を描くということから、水紋をつくる青鷺に飛躍するところに、良質な詩性がある。静謐で薄暗い映像も浮かびあがり、詩的飛躍についても円という補助線が引かれている。歌とともに読者は無理なく飛躍についていくことができ、なおかつ青鷺という体言止めで着地するようなつくりをしている。二首目は沈黙が純正律という、和音の映える音律に近づくという高揚感があるが、歌の韻律は抑制されている。夜のチェス・プロブレムもゴシックな雰囲気がありよい。一首目は水紋を描く青鷺の背景に水の存在がある。こうした歌を読み、歌集名にも水という語があったことを思うとき、バシュラールを思い出すのである。

 

ふくらみは鳥の胸ほどなだらかなポットのうちを普洱茶揺る

蠟梅や モジュラーシンセサイザーの回路にめぐり逢ふ0と1

 

 言語感覚のある歌集だとも思った。一首目の初句から四句目までは、鳥からポットへなだらかに詩的飛躍している。結句の普洱茶をプーアル茶とは表記せず、しかもルビを振らないところに美意識を感じた。普洱茶の洱に耳があり、鳥からポットにメタモルフォーゼした際に動物的な要素が残る。また、歌集という体裁にしたときにルビは視覚的には美しくない。二首目は初句のやや使いまわされた短歌的詠嘆〈蠟梅や〉から、二句以降のモジュラーシンセサイザーにつながる。やや強引さがあるのだが、モジュラーシンセが蠟梅とかけ離れており、日常にまみれた機械ではないため成立するのだろう。このやや強引でも成立させてしまうのが理屈を超えていい。

 

生活に夢を見る 生活を夢に見る そのまにま丸善へ行く

透明性を高めてゆくといふ結語ありて午前の会議は終る

あなたより一回多く振りかへる帰路のこの平凡なさみしさ

 

 歌集を読むと、日常の歌も多いことに気づく。一首目のように夢と生活は混然としており、二首目では、会議で透明性を高めるという言葉の詩的要素に関心がいく。生活と詩が水と油のように完全に混ざらない状態で存在しているのである。三首目は、あなたとの別れの際に恋しく一回多く振り返ることを、結句で〈平凡なさみしさ〉と結論付けている。こうした言い切りは歌集のなかでは珍しいのだが、メタ的な視点で自分をみているのだろう。いずれも日常、現実にうすぼんやりとした膜があるような歌だと思った。また、現実に一枚膜を設け距離を置くところに老荘的な水の自由さを思った。

 

ブリーフをタイツの上に穿きかさね颯爽とせりゲンダル・ジェンナー

不可解な着こなしになほ際立てる人間的底力おもふも

 

 生活の歌に反して、先のモジュラーシンセの歌もそうであるが、上川はディレッタントなのだろう。一首目のように或るカルチャーの歌になると解像度が上がる。ゲンダル・ジェンナーはアメリカのファッションモデルであり、Google画像検索をすると幸い上のほうに〈ブリーフをタイツの上に穿きかさね颯爽と〉するゲンダル・ジェンナーが表示される。そのブリーフは、引用歌の前の歌にはスパンコールとあるが、画像検索の画像では、宝石にもみえ、とにかく光を放っている。また、世界一稼ぐモデルらしい。ハイブランドなジュエリーや服装にも飲み込まれないゲンダル・ジェンナーは、やはり美しい。などと思っていたところ、二首目で、冷静に指摘し分析するところに可笑しみがある。

 「水は一日をとおして色を転じながら、しかし闇を湛えても透明です。そのように澄んだ眼で、あるいは文体で、一切を見透すことができたら、と水のめぐりに思います。」と帯文にあとがきの抜粋がある。詩性を保ちつつ、日常を詠うところには、帯文のような作歌信条があるのだろう。日常とディレッタンティズムで解像度が異なるように感じたが、本歌集をめぐる言説においては、解像度というよりは、水の色の移り変わりといったほうが適切なのかもしれない。水のイメージが通奏低音としてある歌集だが、水の色を転じるという可変性、また一切を見透かすという特性は、四代元素の一つに留まらない拡がりをもつ。

 最後に、くしゃみする歌を二首みつけたのだが、〈るぷし〉という擬音語と、〈くさめ〉という文語がよいと思ったので引用したい。ゲンダル・ジェンナーしかり、上川にとって人間とは少しはみ出しつつもチャーミングなものなのだ。

 

永遠にひらく眼をもつ石像を見遣りてはるぷし、とくさめせり

くさめ、とぞ構えしがくさめ不発なるままに顔の力はゆきどころなし