先日、かりんの歌会あとに、「レトロプリンのタルト」というプリンなのかタルトなのかわからない甘味を食べつつ、短歌談義をしていた。レトロプリンから少し水分を抜いて、タルトの具に合うように処理されている。さくらんぼのシロップ漬けが乗っているのは嬉しい。
「レトロプリンのタルト」も珍しいが、個人的には、その日の話題が割と真面目な短歌談義になったのも新鮮であった。戦時下の短歌やそれを巡る状況に話題が移り、篠弘著『戦争と歌人たち:ここにも抵抗があった』や、その他いままで読んだ歴史書を思い出しつつ話していた。当時の歌人たちは戦意高揚と抵抗という葛藤がありつつも、結局はチャコールグレーに徹していたのだなと概括的に思っていた。自分が当時の歌人であったら、そうせざるを得なかっただろうし、最適解のような気がした。話していた具体的な内容は忘れてしまい、ここに書いたような漠然とした感想しか覚えてないし、短歌談義が白熱し「レトロプリンのタルト」は二の次になってしまい、十分に味わう前に食べきってしまった。一ついうならもう少しカラメルソースがもう少し苦いと良かった。
短歌談義のなかで、もし当時に生きていたら戦意高揚に与する歌を作るか、投獄されるかの二択ならどちらを選択するかという話になった。どちらも嫌だ。投獄は経験がないが、桐野夏生『日没』はそんなディストピア小説であり、戦慄しながら読んだ。『日没』では反体制的であると判断された作家は「文化文芸倫理向上委員会」なる行政機関の職員により、強制的に収容施設に入れられ、「更生」プログラムを受けることになる。「更生」プログラム中は人権も何もない。社会権、生存権もない。自分も短歌や評論を書く以上は収容されかねないためより戦慄したのだろう。さて、私はどちらの選択をするかだが、これは後々の保身のために伏せておきたい。
吾《あ》もきみも河原乞食とながらへて閻浮は歌の花ざかりなれ 坂井修一『鷗外の甍』
河原乞食は中世の被差別民であるが、皮革製品や葬儀や、傀儡師といった芸事に従事した。喜田貞吉の著作を読むと皮革加工業で財を成し、葬儀の手配で影響力をもち、土地の有力者になった者もいたという。体制外の人々ということで、僧の体をもつ濫僧といわれる者もいた。観阿弥、世阿弥も濫僧の類であるという一説もある。坂井は時代の趨勢(いいほうではない)のなか、歌人は体制外の者として存えて、その浮世には歌の花が開くよう願いを込めている。日本がもしディストピアになったときに、筆で対峙しても敵わなかったときに、あっさり転向するのではなく、坂井の歌のように河原乞食とながらえることがいいように思った。私の咲かせるだろう花は消し炭色をしている。