埼玉県日高市に高麗駅がある。コウライではなく、コマと読む。コウライと読むのが間違いかというと一概にはそうともいえないのは、高麗周辺は歴史的に朝鮮半島からきた人々、渡来人が住んでいた地であるからである。三方が山に囲まれ、心なしか所沢よりも気温が低い。そこまで山々の標高は低く、近隣の小中学生は遠足に利用することもある。齢を重ねて再来すると、近場に濃い自然があることに喜びを感じる。空を見上げると高いところに鳶が旋回している。鴉よりも鳶のほうが大きな空の地図をもっていることだろう。
駅前には将軍標という鬼神の像があり、天下大将軍、地下女将軍と書かれている。厄災を退けるという朝鮮半島の信仰で、高麗駅同様に渡来人にゆかりのある地には、まだ数か所現存しているようだ。当時は国際都市だったのだろう。また大陸の最新の技術も誇ったがために、多くの土地をもつことになったのだろう。しかし、千年以上経った今は、そうした活気は遺跡と想像に頼らざるを得ず、一地方の静かな駅である。千年という月日はグローバリゼーションをも同化し、郷土の歴史にするほどの時間であることに感じ入る。
巾着田という巾着の形をした土地がある。ブルーベリー畑や、花畑があり、水路では蛍を育てている。曼珠沙華の群生が観光名所になっているが、群生地は花期が終わっていた。路傍に植えられている曼珠沙華がまだ日当たりがいいのか、なんとか咲いていた。秋桜は花盛りであった。説明書きによると、川の流れの関係で巾着のような形に土地が形成されたため、巾着田というらしい。また、巾着田は名前のごとく田んぼなのだと思い込んでいたが、どうやら耕作地であったのは中世までらしい。
台風が近づいているらしく雨が降ったらことだ思っていたが、空が厚い雲に覆われるのみで助かった。心理学的には天候は悪い方が、認知過程が分析的になるらしい。散歩の絶好の気候とはいいがたい、台風の眷属である厚い雲は、私にとりとめのないいくつかの思索をもたらした。これは有難いことである。