今年も桜桃忌が訪れ、太宰治のことを調べたくなった。佐藤春夫が「希有の文才」で「芥川賞の季節になると太宰を思ひ出す」と書き始める(『現代日本文学全集 第四九巻附録月報第一七号』、一九五四・九/筑摩書房)。春夫は最初から太宰の才能を認め、芥川賞など貰わないでも一家を成す才能があると信じ、「芥川賞」と題した作品を書いたというのである。「希有の文才」が書かれたのは桜桃忌七周年のこと、太宰の死から時間が経つが、訃報に際して、「折角幾度も企てて失敗してゐる事を今度は成し遂げさせたいやうな妙に非人情に虚無的な考へになつてゐた自分は、他人事ならず重荷をおろしたやうな気軽るなそれでゐて腹立たしい変な気がしたのを得忘れない」と述懐している。太宰治の川端康成に宛てた「川端康成へ」(『もの思う葦』一九八〇・九/新潮社)では「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った」とあるように、芥川賞選考委員と被選考作家の間の、フェアとはいえない密接な関係性が垣間見える。実際、各文化の顕彰事業は大なり小なりそういった要素があるだろうことも、携わる人々の間では暗黙の了解として共有されていると思う。さて、春夫も川端も超然とした態度、あるいはパターナリスティックに太宰を見ている。太宰の激した筆致が先なのか、選考委員のパターナリズムが先なのか、いずれにせよ感情論としては取り合わせが悪い。太宰としても、春夫に作品のモデルにされたり、死後に「希有の文才」でまたパターナリズムに曝されたりするのは古傷に塩だと思った。
以前、柚木麻子原作、堤幸彦監督、のん主演の映画『私にふさわしいホテル』を鑑賞した。のん扮する中島加代子は新人小説家で、大家で文学賞の選考委員でもある滝藤賢一扮する東十条や、編集者を振り回しながら、文壇で生き抜いていく物語。一九八〇年代の時代設定という昭和レトロな雰囲気や、先述の太宰界隈の賞レースの様相が、誇張されユーモラスに描かれる。先述の太宰のくだりよりも湿っぽくないのは、製作陣やのん、滝藤賢一が滑稽に演じているからである。この手の話は戯画しないと生々しくなる。
「うた新聞」(二〇二五・六)で生沼義朗が「祝祭性と歌会」で、文学フリマ東京40が盛況だったことに触れ、大規模なイベントや年一回の行事は、規模や頻度的に日常と異なり祝祭性が生まれ、人を惹きつける要因であると述べる。また祝祭性の他の例として、新人賞の結果発表時のSNSの活況も挙げる。生沼はそうしたハレだけではなく、ケである日ごろの歌会を大事にしてほしいのはバランスが根底にあるからであると結ぶ。新人賞の祝祭性という点で考えさせられた。太宰も、中島加代子もケである日ごろの創作は十分すぎるほどであり、文壇では定評がある。にも、関わらず、賞というハレ・祝祭性を渇望していたからである。生沼の文脈では、ハレが先行して論じられており、ケである歌会も大切にすることでバランスがとられるというものであった。太宰や中島はケである創作の比重と、ハレである賞のバランスがとられておらず、生沼の論の文脈と逆さまのバランスとなっている。賞は選考委員の手に委ねられているので個人ではどうすることもできない。ゆえに、太宰の激しい筆致や、中島の受賞のための嵐のような工作活動(?)につながるのである。
祝祭性は神に捧げる儀式から生じる。祭司は選考委員というデウスエクスマキナ的な存在といえよう。ケが重くなったときに、どうバランスをとればいいのか。神は死んだといえばいいのだろうか、それとも色即是空といえばいいのだろうか。それともルサンチマンでさらに書くべきなのだろうか。中島はラストで文学賞を受賞し、一抜けしてしまったが、太宰は教えてくれない。