生業柄定期的に、全日本病院協会が月二回ウェブ上にアップロードする「全日病ニュース」に目を通している。病院経営の状況、政府への提言、診療報酬の動向などが掲載されており、医療機関が今後どのように経営のかじ取りをすべきかみえてくる。医学とは異なり、医療事業は制度の制約を受け、また社会資源でもあるので、社会科学的要素が強くなる。
さて、「全日病ニュース」のなかの「清和抄」は天声人語のようなコラム欄である。地域医療への意気込みや、物価高騰への対策等、時事的な話題について、熱がこもった本音に近い文章が掲載されている。読者としては、時に(いいぞもっと言え)だとか、(極論では)など思いながら肩の力を抜いて読む欄である。「全日病ニュース」(二〇二六・八・一)の「清和抄」は「短歌とAI」(高橋 泰)という標題があり、少し前の短歌総合誌の記事を思わせるものであり興味深かった。が、内容を読んでいくと次第に釈然としない思いもした。
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高橋の母は八十九歳であり短歌を始めたという。そして、高橋は生成AIに「評価してください」と依頼したという。AIは、八十九歳で現代の技術や社会の変化を捉え、短歌形式に収めた点に知性と若々しさがある、「ややこしい」という戸惑いに技術への好奇心があると評したようだ。歌としては、等身大の実感があり、新たな趣味のすべり出しとしては本人の楽しみが期待できよいのではないだろうか。また、息子世代の家族が短歌の良し悪しがわからず、とりあえずAIに評価を問うというのも今日的で結構だと思った。
筆者がよく理解できなかったのは、高橋が「専門家であっても、ここまで即座に、丁寧に、しかも肯定的に読んでくれるとは限らない。」と書いた部分である。専門家とは歌人のことを指しているのだろうか、また歌人だとしてどのような場の歌人を指しているのだろうか。高橋の期待する鑑賞をする場は初心者教室などにはあるだろう。そして、高橋の求める「即座に、丁寧に、しかも肯定的に読」むことは歌人にとって容易なことだろう。AIよりさらに鑑賞を膨らませることもできる。何を根拠に「専門家であっても、ここまで即座に、丁寧に、しかも肯定的に読んでくれるとは限らない。」という感想が生まれたのだろうか。短歌の「専門家」に対して随分と解像度が低い状態で語っており、文章の精度の低さが気になる。さらに、「専門家」に求めることが「肯定的に読」むことなのも疑義がある。高橋は医療経営の研究者なのでわかりやすく医師に喩えると、「肯定的に読」む歌人は、医療の文脈でいうと患者のいうことは懇切丁寧に聴き、医学的判断を経由せずに患者の求める薬を出す医師ということになる。価値、知識、技術などの体系が専門性とするならば、医師における医学的知識に基づく診断や手技は、歌人における批評や表現である。高橋は短歌の「専門家」に関して理解が浅いなか、何か勘違いをしてしまっている。
また、「生成AIの 本当の価値は、効率化だけではない。 人がもう一度、自分の言葉を信じる力を取り戻すところにもあるのである。」と文章を結んでいる。AIの鑑賞によって母は短歌をつくるのに張り合いが出たことであろう。現象としてはよい、しかし、あらかじめ共感するアルゴリズムが搭載されたAIに対して左記のように結ぶのは実存的人間観に欠くのではないだろうか。本来ならば読み飛ばしたい文章であるが、人文学やその内の短歌が軽く扱われる言説が流布している。悪意はないながら「短歌とAI」においてもその雰囲気がある。いや、その悪意がないというのが浅慮であり、厄介なのであるからして、本文の如く辛口に物を申したい。