都市詠という括り方があるが、その都市というのは戦後の高度経済成長期からバブル経済にかけての都市化された街のことや、農村に対する概念のことをいうのだろう。東京においても筆者の主観において新橋、秋葉原、池袋、渋谷、新宿、麻布十番など駅ごとに個性は強くあり、また地方都市もある。これでは都市詠という一言では包括しきれない。そのため、従来使われてきた都市詠という言葉の典型は、何時かの大づかみな東京なのだろう。
だれも知る地代の高さ従業員八十人にトイレは二つ
エレベーター閉まり切るまでお辞儀する「さすが銀座」と小さく聞こゆ
冒頭は歌集の第一印象を決めるものといえようが、本歌集の連作「Confidential」は銀座という場面設定が前面に出ている。銀座という高級な印象と、その主体の勤めるバックヤードの対比が面白く、連作タイトルも社外秘を意味するConfidentialでありと都市的である。一首目について、歌のとおり、夕方の報道番組等でもしばしば地代の高さは驚きをもって報じられ自明の理である。なぜそのように高騰しているかというと、REITで知られるように不動産は投資対象のため、或る程度高く安定していないと金融的安定性を欠いてしまい、これはこれで社会が動揺する。また、ビルであっても延床面積などというように、上に伸ばせば地代は関係ないというわけにはいかない。説明が長くなってしまったが、都市における地代は非都市と異なり日常生活から乖離した概念である。日常的ではない地代に、日常生活必需品であるトイレを配置するのは不採算ということであろう。同連作内に〈朝礼前 集うわれらのときめきは新色リップの発色具合〉とあるように、女性がほとんどを占める職場で、一首目のようなトイレの比率はかなりシビアといえる。銀座という場において、地代のほうが人間より優遇されているのでは、という歌にも読める。二首目は客体が「さすが銀座」と言うのだが、主体も自分自身でお辞儀をしておきながら、「さすが銀座」と思っているのだろう。自分を客観視しつつも、そのホスピタリティに自負もあるという、自我と職業人の部分が混在している。なお、歌集後半に〈釣り銭はピン札で出す銀座では老舗店では当然のこと〉とあり、銀座と老舗店の繰り返しは力強く、自負という読みはあながち間違っていなかったとホッとした。一般的に仕事をしていると職業人と生活者の二面性は生じがちであり、その多様性が職場詠の楽しさでもある。乃上の歌は他に例を見ない場面の歌であり、読んでいて新たな発見があり面白い。都市詠の都市とは何なのかという揺らぎを感じつつも、銀座という場は紛れもなく都市と思える所以を歌にみた気がする。
謝罪にはそこそこの歳が見栄えよく社員の代わりに頭を下げる
受け流せないときも菩提樹の花を見上げて深呼吸する
これらの歌を読むと、労働社会の気苦労はどこでも共通項があり、銀座という個性にとらわれ過ぎてはいけないと思う。一方で、職業生活と日常生活の乖離が大きくなると気苦労は増大する。銀座という場は舞台であり、自負であり、重荷でもあるのだろう。
脇を締めまっすぐに打つワンツーで今朝のからだの地軸をさぐる
猫パンチとからかってくる恋人のお腹に打ちこむ右ストレート
連作「革と桜」の革はキックボクシングのグローブの革のこと。連作内には一首目のように特有の身体感覚のある歌がある。体にも地球に通じる地軸があり、身体の調子で若干調整を要するのであろう。トレーニングは自分自身の肉体との対話でもある。他にもトレーニング場面の歌で躍動感があり面白い歌が数多くあるのだが、二首目のように日常生活に溶け込んだ歌が印象的であった。恋人がパンチ力を見くびって「猫パンチ」とやや甘やかにからかったところ、威力が尋常ではなかった。それも左のジャブではなく、フックも嫌だが、右ストレートをお腹に打ちこむという手痛い返答をしている。恋人は気の毒であるが、ユーモラスな場面であり、歌集の幅になっている。
人為的に線を引き直す 何度でも線が刻まれた傷だらけの土地
血が出ても傷ついてもいいあなたなら ひとはりひとはり わたしを刺して
ロシアによるウクライナ侵攻が主題の一首目は、ウクライナがキーウ・ルーシー公国と呼ばれたころから、戦乱を伴って政治的変化が多い土地であり、現在再び侵略がなされている状況を詠っている。一人の人間が行っているように、線を引き直すと表現し、また土地を擬人化することで、国家間の争いに身体性や身近さを付与している。戦争や地政学は概念的な部分もあり、考える際は身辺から遠く感じてしまいがちだが、乃上は左記の方策を用いて人という視点で見ようとしているのではないかと思った。高橋順子の詩「見たことのない野原」のオマージュの二首目は、鬼気迫る抒情がある。二次創作であるゆえに、躊躇のなく無意識下のエロス様の抒情を表出できたようにも読んだ。
都市詠に関しては、場面を、少し引いた立場に立ち、批評と同情が混ざった視点で切り取っている。自我を解放する方法を模索し、管理している点が印象的であった。「血が出ても傷ついてもいいあなたなら……」のような歌も歌集編纂時には緻密に考え配置したのであろう。歌の技量の高さと安定性、抒情の深さと広さ、内省的知覚から、第一歌集の勢いだけではなく、人間的成熟も兼ね備える歌集だと思った。