クールスモーキング kaen02を読む

 「kaen tabacco」02というintroduction(詩のような)と短歌、エッセイで構成された作品集を読んだ。ネプリは随分と流行っているが、実はコンビニにいき複合機で出力するのが面倒だったりするが、本作品集はグーグルドライブの共有機能で公開しているので、スマートフォンやPCで閲覧可能で、読者としては読みやすくて有難い。PDFファイルで15頁、表紙や奥付のようなものもあり、ネプリと、本作品集のような公開方法と、同人誌と媒体の差が割と多様化しつつフラットになってきたのかなと、鈍い筆者も思った。さて、中身の鑑賞に入りたいのだが、表紙は木星の断面のような、マーブル模様である。煙草が本作品集はテーマだが、煙草を抽象的に描いたといったらそうかもしれないなと思うほど絵になっている。タイトルもシンプルでおしゃれである。
 introduction「火煙」(中村雪生)は短い詩である。〈生活に呼吸がある〉、〈ちいさな効果〉とリフレインしながら、〈ぼくらの寝床〉や〈あなた〉と〈わたし〉の関係性を描く。中村にとっては火・煙はあなたとわたしだけが見える、ふたりの時間や空間なのかもしれない。

  コンビニの きらいなおまえのアメスピとおまえのきらいなメビウスの箱 /御殿山みなみ「けむりのあまり」
  燃えてなお平和と呼ぶはその名前そして二本の指の形に /のつちえこ「Smoke without fire」

 一首目はアメスピとメビウスがわからないと読めない。アメスピはあくまで個人の感想だが、燃焼時間が長い。煙草は一般的に火を低温に保ち呑むほうが香りがたつと言われている。また味わうにも一気に吸うよりも煙で転がしながら吸うほうがいい。アメスタを好む<おまえ>はそうしたご託が好きな人物かもしれないのだ。アメスピのパッケージはネイティブアメリカンで、いかにも煙草史を語れそうである。一方メビウスは、元々はマイルドセブンとして売られていた。名前の変更はマーケティング的な要素であるとのこと。味は一般的にスムースな味と香りとされているが、味のライトさとマーケティングで、慣れ親しんだマイセンの名前を簡単に変えてしまうメビウスが好きではないのだ。非喫煙者にとってはわかりにくい対比だが、しかし、<おまえ>の煙草の好みを熟知する<われ>は、案外<おまえ>のことがそこまで嫌いではないのだろう。御殿山作品は風俗嬢、フードコートなど露悪的なものや卑近なものを詠み込む歌が多く、生きにくさや、無頼派に近い文学観があるように思える。どっちかに針を思いっきり振り切る歌があっても面白いと思った。
 二首目はピースという銘柄の煙草が題材。ピースはホープと並ぶ古い煙草でバニラの香料が使われており甘い香りがする。ピースは戦後に発売されたため、<燃えてなお平和を呼ぶは……>は一九四六年のことを想起してもいいのだが、世界で緊張が解けない現在と読むことも可能だ。ピースと直接言わずに、上句で観念的なことをいいつつ、ピースを示唆し、下句でピースの指の形・ピースという銘柄・弓兵が勝利をあらわしたピースサインと意味を重層的に付与するかたちは巧みだ。ほかにも<安直な台詞のように鳴らしおり 銀のジッポ、もうそれやるよ>というハードボイルドな歌もあり、面白い。ちなみに銀のジッポだが、クロームは安いがスターリングシルバーは、庶民ではやるよと言えない値段だ。
 本ブログは短歌ブログなのでエッセイは割愛するが、スポットライト理論は興味深いなと思いつつ拝読した。二十歳になって吸い始め、就活を意識し二十二歳で止めた煙草は健康を害するのでもう吸わないが、ホープの甘い香りやジッポトリックをして五月蠅がられた大学時代は黒歴史として残っている。今吸うならブラックデビルがいい。火をつけなくてもチョコ味で甘くておいしい。