ネクタイとTシャツと 辻聡之歌集『あしたの孵化《ふか》を読む』

 ツイッターでちらちらと進行が垣間見えたり、歌集タイトル(仮)がツイートされたりしていたところでの待望の第一歌集だ。義妹や姪という新しい親族や、仕事や暮らしのなかにある人生の陰影が題材となっている歌が多いが、本文はスタンダードをキーワードにして歌集を読んでいきたい。

  ナポレオンは三十歳でクーデター ほんのり派手なネクタイでぼくは

 引用歌は栞文で松村由利子が引用しており、ナポレオンの偉業に対して、〈ほんのり派手なネクタイ〉を締めるささやかな矜持を評価している。このささやかな矜持は歌集をとおして感じる。

  (たぶん正しい)日傘に影をにじませて母親セミナーに友は通えり 
  うまく生きるとは何だろう突風に揉まるる蝶の翅の確かさ
  きみの正論のあかるさ レリーフに右耳のなきうさぎ跳ねおり

 本歌集は正しさ、確かさなど、社会に構成されたスタンダードを認めつつ、でもそれだけではないよねと異なる立場を示唆する歌が多い。〈ナポレオンは〜〉の歌の、結句〈ぼくは〉のような示唆の仕方だ。一首目は母親セミナーに通う友について、まだ子がいない〈われ〉が、〈(たぶん正しい)〉と評価するのである。括弧で括ることと、〈たぶん〉ということで控えめなようで強調していて、客観的にみつめている。二首目は、上句は直接問いになっていて、下句で回答している。突風に揉まれる蝶はかなり危うい。蝶の翅も傷むかもしれない。その不確かさを不確かさと言わずに、〈確かさ〉といっている。三首目も下句でうさぎのレリーフは、話を聞くための耳が片方欠けている。しかし、上句は〈あかるさ〉と表現している。これらの歌をみると一見、淡い主張のようで、よくよく読むと強い示唆があるという歌がみえてくる。

  すりへりし踵直せる細き指ていねいに暮らすっていいよねと言う
  痛いほど鼻腔は乾く Party people《パリピ》なるあなたとはちがう夜を歩けば

 しかし、スタンダードに生きる人々は大多数を占めるので、辻は志向と異なる人々とも当然日々接するわけである。一首目は革靴か、細き指なのでハイヒールのような女性用靴でもいいのだが、いずれにせよ仕事で使う靴だろう。休日に靴の手入れをしている人をみて、もしくは自分をメタ的にみつめて、〈ていねいに暮らすっていいよね〉と言うのだ。〈いいよね〉と同意を求めるということで、価値観の共有を図るのだがどこか、すこしあでどない感じがする。二首目はパリピという新しい言葉が面白い。パーティーピープルは、ネットでみるとパーティーに頻繁に顔を出し騒ぐ人というらしい。音は楽しく、辻はおそらく音の面白さをわかった上でつかっているのだが、〈痛いほど鼻腔は乾く〉と〈あなたとはちがう〉とあり、パリピに対する視線は厳しい。

  吾輩は猫ではないし名もあるが猫ならきみに飼われたかった
  キリン二頭くちづけせんと首伸べているサバンナのTシャツを着る
  ぼくはアコーディオン 体をふるわせて咳する闇に聴かれていたり

 次に小さいものに対する心寄せが指摘できる。歌集の表紙から、多くの動物が登場し楽しげだ。一首目は夏目漱石の『吾輩は猫である』に掛けつつ相聞にしているが、叶わぬ願望である。二首目もキリンはくちづけをしようとしているところだが、〈われ〉はそうでもなさそうだ。いわゆるカワイイ動物を扱っても、カワいくはならず陰りを帯びる。三首目は呼吸器疾患で咳が出る夜の歌だが、苦しいはずなのに今度はアコーディオンになる。萩原裕幸が栞文でオールラウンダーと評しているが、上句、下句で変化をつけるという作歌上の工夫なのだろう。小さくカワイイものと陰りの取り合わせは、生の暗さという含みを感じる。
 歌集を読んで、私がかりんに入ったときに、はじめての全国大会で馬場先生、岩田先生、先輩方の元へ連れ回してくださったことを思い出していた。あと、私が超結社の歌会でかりんの会員だと自己紹介すると、「辻さんのいる?」と聞かれ、話のきっかけとなるなどお世話になったことも思い出した。
 最後に好きな歌を引用してひとまずスマホを置く。

  ひなこ ひな 大人の声にひらく目をアンパンマンの正義で満たす
  冬枯れに中華料理屋華やぎて人間はみな踊るシュウマイ

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