牧水との対話 伊藤一彦歌集『光の庭』を読む

 ふらんす堂の短歌日記歌集シリーズで、二〇一七年は伊藤一彦さんが担当。二〇一三年が坂井修一さん『亀のピカソ』で楽しく読んだことを思い返しつつ読み始めた。ふらんす堂の短歌日記シリーズは表紙が素敵で、坂井さんはデフォルメされた亀が描かれており、伊藤さんの『光の庭』は天道虫かスカラベのような昆虫がメタリックな虹色で描かれている。

  しろたへの雪つもることなき山河《さんが》隠れあたはず恥づかしき時も 1/1
  母の無き初の正月これまでにまして母感じ酒を酌みをり 1/2
  娘らの幼きころの思ひ出に出てくるわれの乱反射せり 1/3

 短歌日記の魅力は作者がわれに近く、そして抒情がたったいま湧いてきたものとして歌になされているところのように思う。一月は家族が集まる季節だ。なので、家族詠が多い。一首目は故郷を詠んだものである。宮崎はめったに雪は降らないそうだが、学生のとき一度降ったらしい。二首目は挽歌、三首目は家族詠。一月は過去と未来が混然とする季節でもあるのかもしれない。思い出のわれはモザイクのようなもので、きらきらと乱反射するように登場するというのが、はかなげで美しい。

  新聞に「鳥フル・殺処分」の見出しわれには「鳥・フル殺処分」に見ゆ 1/30
  「びんぼふ」は「ひんこん」ならず牧水は銭を恃まず銭を惜しまず 1/14
  共生の森が照葉樹林なり 森のこころに人こそ学べ 2/26 照葉樹林文化論
  春夏秋冬他《ほか》のいのちを奪ふなく他のいのちを支へ木木樹《た》つ 4/3
  牧水よ飲んで寝てゐる暇ないぞ歌守《うたもり》ならば起きて歌へかし 12/23

 若山牧水の研究で知られている伊藤だが、牧水を論じる際はおのずと環境も関わってくる。周知のとおり牧水は沼津の千本松原の自然保護活動に参加したこともあり、また自然に関する多くの随筆も執筆しているからだ。伊藤も歌を通じて自然と向き合っている。三首目は照葉樹林の生物多様性や生態学的にすぐれているところから、人間社会も共生しなければならないのではと投げかけている。エコ批評に終わらずに、元スクールカウンセラーだったときの問題意識につなげている。照葉樹林というのも象徴的な言葉の斡旋で、照葉樹林文化論というものがあるWikipediaによると、「具体的には、根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆[1]など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾などが照葉樹林文化圏の特徴として挙げられる。」(Wikipedia、照葉樹林文化論、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%91%89%E6%A8%B9%E6%9E%97%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AB%96 、最終閲覧二〇一八年九月九日)とある。考古学や文化人類学的には数々の論争はあるようだが、しかし多様性を尊重し、生態学的にかなったものと読めばいいだろう。四首目も同じように木木の許容力に心寄せしている。一首目は養鶏所の鶏がインフルエンザ流行により殺処分する記事に対して、フル殺処分すなわち皆殺しにすると空目したという歌だ。フロイトが『精神分析学入門』(一九七三年、中公文庫)で言い間違えは無意識の発露であるなどということを言っていたが、空目もそうかもしれない。深い絶望感がフル殺処分と読ませたのであろう。こうしたところにもエコロジーな視点がみられる。二首目と五首目は牧水を直接題材にした歌だが、二首目は、牧水は貧乏ではあったが、旅の中でお世話になった人に対しては心付けを忘れなかったことを取り上げ、一方で現代、社会問題になっている貧困は貧乏と違って……と問題提起している。現代は老若男女が貧困になりうる社会で、そうした閉塞感が漂白の歌人と対比されると、ひんこんという空気の抜けていくような音から、社会構造の違和が感じられる。五首目は牧水と対話しているようで面白い。筆者の牧水のイメージは啄木の葬儀に奔走した実務能力の高い人物というもので、おそらく(来嶋靖生、二〇〇八年『大正歌壇史私稿』、ゆまに書房)で読んだエピソードの印象が強いのだが、生きていたら案外、お酒を飲んですぐ寝てしまうようなユーモラスな人物かもしれない。

  タマガツタ、タマゲルといふ宮崎弁 古語の魂消《タマゲ》ると知りてタマゲヌ 2/15
  自動車の運転免許証われも妻も持たずと言へば人ヒツタマガル 2/16
  自転車のサドルに白き鳥の糞《ふん》気持ちよかりけむ輝きてをり 4/4 

 ユーモラスな歌もある。一首目は宮崎弁が古語に通じており、魂消るというスピリチュアルな言葉ということで驚くのだが、そこに結句のタマゲヌで落ちがついている。その次の歌も方言の歌で、東京でも市部になるとやはり車は生活に必要になってくる。免許がないと言うと、驚かれるのだが、その状態がヒツタマガルである。三首目は鳥の糞に心寄せをしてさらに擬人化までするこだわりが面白い。

  鋭さを内に蔵せる笑顔なりきどんでん返しつねにたくらみ 11/5
  「正《ただし》」とふ畏まつた字の直線がみな動き出し柔《やは》く温かし 11/11

 岩田正への挽歌もある。短歌日記ならではで、訃報を聞きすぐに詠んだ歌であろう。

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