一年経って 「gekoの会」vol.8を読む

 gekoの会も結成一年が過ぎ、様々なところで噂されるようになってきた。本文では最新号を読み徒然なるままに鑑賞していきたい。

  ドンキホーテとサンチョパンサの人形は笑みをたたへてわれを見送る 山川築「各停小景」
  亥の刻の闇は深しも末枯の木々のあはひへ線路はつづく

 山川(築)の電車と駅の連作だ。『ドンキホーテ』は滑稽、文化批評的、悲劇など様々な読み筋があるようだが、ドンキホーテとサンチョパンサはいわばめおと関係や共犯関係ともいえ切っても切れない縁である。そんな人形が笑みをたたえて見送るのである。「人生の終着駅」なんて言い回しがあったり〈各駅とふリアリズムあり鈍行といふシニシズムあり鈍行でゆく 馬場あき子『九花』〉と詠われていたりするように、山川(築)もまた乗車に人生を重ねるのである。亥の刻というと終電くらいだろうか。亥の刻という言い回しから闇がより濃く感じる。闇のさきにも線路が続いているというところに、時代や人生の先々の不透明さが託されているのかもしれない。

  ワイシャツで眼鏡を拭いているうちにエレベーターが一階に着く 山川創「フールインザビル」
  「本日は定時退社日です!」の声は聞き流すのが礼儀だと知れ

 山川(創)の連作は若い都市労働者の目線から、社会を鋭くニヒルに糺弾する。何気ない行為にも社会批判が婉曲的に込められている。眼鏡を拭いてるうちに目的階についてしまうときに、多少慌てて出るのだろうが、ふと冷静に眼鏡を拭く時間もないのかと思ってしまう。働き方改革で定時退社が叫ばれても、聞き流すという「はいはい、無理ですよ」というような斜め下からの目線がある。何気ない行為に意味を与えていく詠み方は特徴的だ。

  「ジーンズを洗って干した」国中の空がこうしてまた青くなる 貝澤駿一「ここにるもの」
  記念樹の葉が青空をおおうまでここにあるもの だから永遠

 貝澤の連作は学校を舞台にしている。青空や銀河、プールなど青春性のある題材を扱っている。しかしそれだけでなく、口語で過去形を用いたり、時間の経過を〈黒板の「I was born」消えかけて途切れとぎれの雲見つめたり〉など一首に盛り込んだりと、時間がテーマなのだろう。一首目は〈春すぎて 夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇『新古今集』〉の本歌取りだろう。ジーンズを干すことができる環境は平和でなければならない。二首目は記念樹の根元に埋まっているものが永遠だという。タイムカプセルだと思うが、具体的なタイムカプセルではなく概念としてのタイムカプセルに我は思いを馳せている。

  つきかげのごとき沈黙織り交ぜて君との電話ながく続けり 永山凌平「なんてことない海」
  「陰影」に「ニュアンス」のルビありしこと桟橋を渡りながら思ひぬ

 永山の連作は切なさやもどかしさのある相聞の連作。一首目は直喩が巧みで、月影の幽かな明暗と、会話の沈黙が絶妙に合っている。そして静かで繊細な関係を詠んだ連作の方向づけにもなっている。二首目も連作で読むと影の濃い時間帯の桟橋の静けさと、心情の合致と、相手と自分の関係性が微妙なニュアンスで成り立っていることも表している。写実や直喩を用いながら手堅く相聞を詠みぶりは、読み手としては読み応えがあり、安心感もある。