きょうの短歌で遊ぶ

 診断メーカーというウェブページがある。名前を適当に入力すると、日替わりでランダムに何かが表示されるというサイトだ。前世や占いなどなんちゃってな占いや、アニメキャラクターを題材としたものもありツイッターでは有名なものだ。そのなかで「【おみくじ】今日のあなたの短歌」というページがある。ランダムに短歌が表示されるらしい。そこで、本文では今日の短歌をひたすら一首鑑賞していこうと思う。際限がないのでまずは一週間。

2019.2.2
  孤独なる姿惜しみて吊し経(へ)し塩鮭も今日ひきおろすかな  宮柊二
#きょうの短歌
https://shindanmaker.com/843295

 いきなり宮柊二でハードルが高い。惜しむというのは、大切にするという意味もある。おそらく一尾の塩鮭が吊るされている姿は孤独で哀惜があり、自らの心情と重なるところがあるのだろう。そんな孤独な塩鮭をひきおろすことで、「孤独に浸るのはそろそろやめにするか」と腰を上げるわれを見ることができる。また、友か家族と食べるためにひきおろし、自らは孤独ではないという読み方もあるかもしれない。塩鮭をひきおろすだけの描写だが心の動きが読める歌である。

2019.2.3
  ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける  紀貫之
#きょうの短歌
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 宮柊二から紀貫之と振り幅が大きい。百人一首のなかの一首でもあるため、調べると口語の大げさな現代語訳が多くみられる。嗅覚は記憶に残りやすいとは大衆心理学でよく言われることだが、中国から渡ってきた梅の香りは当時どこにでもあるようなものではなかったかもしれない。中国が当時の最先端の文化であったことから、君の文化的な香りはふるさとに香っているとでもいうようである。

2019.2.4
  はてしなきおもひよりほつと起きあがり栗まんじゆうをひとつ喰(たう)べぬ  岡本かの子
#きょうの短歌
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 〈はてしなきおもひ〉が観念的ではあるが、作者がわかっていると仏教的な果てしなさや、情念的なものと考えることもできる。そうした考えから解放されて栗まんじゅうを食べるのだが、栗まんじゅうというちょっとした贅沢な感じや、素朴な質感に現実味があり、われに一気に引き付けられる。ユングが黒の書(赤の書所収)で生業に取り組んでいるときは知識や思考から解放されてよかったなどと述懐していたが、かの子も同じように大いなる思想があるがゆえに栗まんじゅうが大切なのかもしれない。

2019.2.5
  君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ  光孝天皇
#きょうの短歌
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 百人一首から、平明な歌で過不足ない歌は古典の醍醐味だろう。いまだと春と若菜が二つ必要かなど気になりもするが、野暮なのかもしれない。弱気な鑑賞から入ったが、袖に雪が湿っている瑞々しさと、若菜という君への長寿の願いがきらきらとしている歌だ。降りつつと言い差しで終わらせたのは、若菜をつんでいる動きをもたせる狙いもある。

2019.2.6
  河上(かはのへ)のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽かず巨勢(こせ)の春野は  春日老
#きょうの短歌
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 古典が続く。今回は万葉集だ。古典となるとネットで多くの鑑賞や訳がある。そんなときに詩歌を散文で訳すのに無理があるように感じる。〈つらつら椿〉は韻律の効果云々という話以上に言い回しとして面白い。椿のほうは連なっている意味のつらつらで、見るほうのつらつらはしっかりと見るという意味である。異口同音を入れ込む見事な技も楽しみたい。つらつらという軽い韻律も春っぽい。

2019.2.7
  抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う  岡井隆
#きょうの短歌
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 瑞々しい青春歌だと思う。髪といえば女性の象徴で、雨でもシャワーでもいいが濡れるとシャンプーの香りの奥にある、そのひとの匂いを感じる。そのときに〈美しかりし野の雨〉の香りがするなどと言うキザな感じがいい。詩人だ。相聞としては熱情的な歌だが、つい「〈女は大地〉かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み 米川千嘉子『夏空の櫂』」を想起して、男性視点の強い歌なのかもなぁなどとも思ったりする。

2019.2.8
  白銀の鍼打つごとききりぎりす幾夜はへなば涼しかるらむ  長塚節
#きょうの短歌
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 長塚節の名歌が出てきた。多くの分析がなされるので野暮だが、〈白銀〉・〈鍼〉のハ行の連続や、〈ごとき〉・〈きりぎりす〉のキ音が上句を引き締めていることは言うまでもない。その凛とした韻律が、きりぎりすを白銀の鍼に喩える美しさを高めている。アララギの草創期の歌人という印象があるが、写実というより幻想的な歌だという印象を持っている。農村の秋の澄んだ空気の中のきりぎりすは白銀の鍼であるが、今の都市できりぎりすが啼いても白銀にはならないだろう。

2019.2.9
  かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな  若山牧水
#きょうの短歌
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 秋ぐさの花が擬人化されている。秋ぐさの花はコスモス、菊か。春、夏の花とは違い、花の密度が低いというかパラパラと咲いている。風に吹かれ葉擦れの音のなかに、夏の花が萎れるさまをみて、冬の予感を感じながら、〈ほろびしものはなつかしきかな〉と語り合うのである。また詞書から小諸城跡の歌ということがわかる。杜甫「春望」の国破れて山川在りの抒情に近いのだろうが、下句の直情的なところをみると、小諸城の場面を詠いつつ、案外内面的な抒情なのかもしれないと思った。

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