アロエ先輩

 深夜、意味なくテレビのチャンネルを回していると、NHKの「みんなのうた」が流れていた。懐かしくなって見ていると、『僕と魚の物語』という歌がはじまった。この歌は〈僕〉が魚体験機に入ってマグロになる。回遊魚なので止まれば死んでしまうことや、岩という困難にぶつかり傷つきながら獅子奮迅し、最後はお寿司になって食べられてしまうという、子ども向けにしてはシュールで皮肉の効いた歌である。カフカも中島敦ももし耳にすれば驚くに違いない。メロディーも耳につき、ここ数日急に歌が流れてきて何ともいえない気持ちになる。ある日、意図せず曲が脳内で再生されると、短歌でも他の動物になってしまう歌があったなと、次のような歌を想起した。

  上流のカジカは優雅にゐるといふドヂヤウの俺の知つたことかい 岩田正『背後の川』

  十人に抜かれて一人も抜かざりきいつからこんな良いカメである 坂井修一『青眼白眼』

 先述のマグロより変身を楽しみつつ、妙に人間的だ。ドチヤウは柳川鍋があるように江戸っ子であるし、カメはゆったりした動きの中に万年生きる知恵を持っていそうである。私は何になろうかとだんだん楽しい気分になってきた。百キロ近い速度で回遊するマグロは疲れそうだ。鮭は明日の食卓に並ぶので却下。以前、ウェブサイトで前世占いをした際は杉の樹だったが、花粉症なので杉も無理そうだ。そういえば私は自室でアロエを育てていて、もう二十年以上の付き合いになる。アロエになって水を吸い上げ、あの肉厚な葉に蓄え、夏の日を浴びるのは気持ちがいいかもしれない。それに主の火傷を癒すこと程度のことはできる。アロエは相変わらず、水を吸い上げわずかばかりの酸素を発しているが、彼はもう、友人でありアロエ族の先輩だ。
(「かりん」二〇一八・九 所収)

このブログの人気の投稿

睦月都歌集『Dance with the invisibles』を読む

濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』を読む

後藤由紀恵歌集『遠く呼ぶ声』を読む