May the Force be with you. 坂井修一歌集『古酒騒乱』を読む

 『古酒騒乱』という題名ほど象徴的なものはないというのが読後感である。美酒でもだめで古酒という重厚感があり、仙人が飲んだり、土地の歴史を負ったり、ときに錬金術めいたモチーフであるというのがポイントだ。

  薩摩よし黄金千貫焼酎となつてほろほろわたしを泣かす
  焼酎よいづれこの世は照り翳りスカイツリーの青の明滅
  泡盛はひかりをたたふ くちびるをかすかゆがめてひと笑ふ国

 とりわけ芋焼酎は香りに癖があり、好き嫌いが分かれる酒である。ビールより静かに飲み、ワインよりも庶民的な飲み物だが、地酒となると特別感がある酒類でもある。そんな薩摩の芋焼酎は黄金千貫からつくられることが多いらしい。黄金千貫という薩摩の風土に根ざした芋が焼酎となって、わたしを泣かすという、薩摩の風土とわれが出会った歌である。また、次の歌では焼酎は理知的にも詠まれ、スカイツリーが明滅している様を時代の趨勢と重ねている。〈焼酎よ〉は詠嘆でもいいが呼びかけとも読める。焼酎といういつの時代にも飲まれてきた酒はまさしく古酒というべきで、歴史を超越した存在のように詠み込まれている。泡盛は沖縄の酒だが、下の句は沖縄の歴史的な困難さを表している。そして、いまそれを詠うことで、沖縄の海が政治(軍事というべきか)利用されている現状を間接的に読者に提示することになる。悲惨さで終わることなく、ひかりをたたふと泡盛を言祝ぐところに、沖縄への心寄せがあるが、示唆的な表現に留まるところが詩的でもあり、また手放しに言祝げない現状が反映されているのであろう。

  剣菱を干してまた酌む夜のはて四角四面のきんつばがゐる
  きんつばの皮のなかなるつぶつぶは暴れたからむことば知らねば  

 剣菱は日本酒で、肴にきんつばを合わせているが、甘いものをつまみにするというのは通好みなのだろうか、筆者は下戸のため酒の飲み方については詳しくない。引用歌が収められている連作はきんつばを起点に展開しており、喩を巧みに使い多くのことを詠んでいるように思える。四角四面というと生真面目という意味で、生真面目なわれの歌と読むのが順当だが、連作中には四角四面なものが多く登場する。連作のなかできんつばは刀の鍔が由来で、武士のたましいを象徴していることや、幕末の剣士で通称人切り以蔵と呼ばれる岡田以蔵が出てくる。人斬りという物騒な名前だが、もしかすると日本のことを真剣に考えた結果、人斬りしか自分にできないという生真面目さがあったのかもしれない。きんつばという和菓子から、明治の志士にまで飛躍し、そこからまたきんつばに戻るのだ。そのなかにひしめく小豆のつぶは、混沌とした幕末の志士たちのようだとさらに想像を膨らませ、ことばを知らぬ故に明治維新や新選組といった力による政権交代の過程があったと考えているのである。きんつばに託しながら多くのことを詠むこの連作は特徴的であると感じた。

  あめつちに夕日のひかりおとろへて朱鷺たちしあと蟹の殻浮く
  ざりがには渦に呑まれてひと踊り かひなき世とはいはず踊るよ
  ひかりそめし空気のなかをフンコロガシわたしうつとり玉をころがす

 あめつちというと〈夏にみる大天地《おおあめつち》はあをき皿われはこぼれて閃く雫 窪田空穂『まひる野』〉を想起するが、空穂のような晴れ晴れとした情景ではなく、わびしげな景がたちくる歌だ。食物連鎖のなかで上位のものであっても決して豊かになることのないという、低成長の時代の空気感が反映されているようだ。蟹の殻というのはからっぽの存在感で、それのみが漂っているのである。ざりがにの歌は静かだが乱の歌で、同じ阿保なら踊らにゃ損々というフレーズを想起する歌である。フンコロガシの歌は「短歌」(角川文化振興財団/二〇一七・十)が初出で詩人のアーサービナードと対談した際に収められた歌である。引用歌はまさに邯鄲の夢のような歌であるが、〈フンコロガシの玉は砕けて食はれけり 爆《は》ぜて消ゆるはにんげんの玉〉という爆弾を彷彿とさせる歌もあり、邯鄲の夢という乱の歌に、問題提起のある知の歌が添っている。

  頬杖で「ワタシハ蛙」つぶやくは鷗外、迢空、この世のわたし
  篠竹のささくれ竹の風折れや白目できない阮籍わたし

 あとがきで、「この歌集では、阮籍となった(なりそこねた)」や「長くお世話になってきた短歌の世界で、自分の役割を果たす時期が来ていると感じている。」と書かれている。文人教授としてのわたしが、鷗外や迢空、杢太郎というような文学者と時空を超えて肩を並べている。ちょうどスターウォーズでオビワンやアナキンがフォースの霊体となり笑い合っているエンディングのようで、短歌の世界ではそうしたSF的なことが可能なのだ。こうした総括感のある歌も本歌集の特徴である。
 本歌集を読んで特にきんつばの歌からみられる、連作全体で比喩的に大きな思想や歴史感を詠込む歌が特徴的だと感じた。また、阮籍の歌からみられる総括感もひとつの境地だと印象に残った。これらは古酒と共通してきて、年月が経つと酒が錬金術や仙人の産物のように思えてくるそれと似ている。前歌集からまたひとつ展開があった本歌集であり、今後さらにどのように展開していくかは短歌が、文学としてどのように発展していくかと不可分な問題だと思った。

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