古い木にまつわる都市伝説 室生犀星著『天狗』(一九二二・一二/現代)を読む

 本書は背の低くみすぼらしい剣客赤星重右が、天狗のように生活をして死ぬまでを描いた作品だ。『天狗』という題名だが、はじめから天狗は出てこない。赤星が不機嫌そうに歩いていると鎌鼬が起こるので怪しいという噂話がある。あくまで噂で展開される様は当時の都市伝説のように展開されていく。犀星の時代に天狗が都市伝説の中心になることはなさそうだが、説話調に犀星は前の時代の都市伝説を再生するのである。ここまで読むと『天狗』ではなくて、『鎌鼬』を読んでいるのかもしれないと不安になってくる。
 処遇に困った城内役人はある土地を与えるという建前で赤星を封じ込めることにして、町から離れたところに住まわせる。そのうちほとぼりが冷めて、ときたま地震は彼が木を揺すったとか、奇怪な言動がみられるという報告または都市伝説が囁かれるが、赤星は天狗伝説のある黒壁権現堂のなかで蟄居するのである。病や憑き物に効力があると黒壁権現は参拝客が絶えず、神の使いといわれる白鼠も無数に堂内におり、超自然的な景がみられる。赤星はというと供物を食べて悠々自適に生活している。そのうち彼自身も天狗のようだといわれながら、相変わらずに蟄居しているのである。ここで赤星は鎌鼬を引き起こす怪しい剣客から、天狗に昇格するのである。これも人々の噂がそうさせたもので、都市伝説の内容が更新されたのである。
 ここで時代は犀星と同時代くらいに戻り、赤星は天狗ではなく、狂犬病で奇妙な振る舞いをしているのではないかという推測がでてくる。この話だけではなく憑き物の話は概ね狂犬病によるものだという。江戸時代から、合理主義が流れ込んできた近代へ一気に時代が飛ぶ。いわゆる脱魔術化の過程がある。そこで〈私〉は客に「いや、ただそういう古い樹には古いと云う事丈《だけ》が人間に何かしら陰気な考えを持たせる丈なんだ。その外には何んでもない。」といって考えが郷里の闇の中に飛んでいき物語は終わる。赤星や天狗から離れて古い木について言及されているが、これは物語から少し外れた記述であり、物語が古い木を語るための出だしの役割をしているのかもしれない。では古い木とはなんだろう。もしかすると権威化してしまった犀星自身のことかもしれない。そこに犀星自身も都市伝説にならないようにという自戒があったのか。

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