真っ白な未来を茫と見る マーセル・セロー著『極北』を読む

 近未来小説というと進んだICTやAI、アンドロイドを想起する。が、本書を読み始めると、誰もいない街に住む主人公が、じゃがいもを育て、カリブーを狩り、馬で巡回している。リビングには朽ちかけたピアノラがあり、武器庫には本が無造作に積まれている。寒々とした景色はツンドラ地帯の描写だが、世界のどこでもありえるような気もする。日本だったら氷はないが砂埃はあるだろう。本書より少し土色な未来である。温暖湿潤な日本も予想せぬ気候変動により砂塵が吹き荒れる砂漠のような土地になることがあるかもしれない。本書は『デイアフタートゥモロー』のような環境災害のパニック映画に似ていると思う人もいるかもしれない。しかし、それよりも朽ち果ててしまっている。そんな中にも社会的な示唆が多くあるのが本書だ。反知性主義、全体主義、衆愚政治、人間の獣性など示唆は枚挙に暇はない。
 本文前半でネガティブなことを書きすぎた。あぶり出されるのは人間の方だ。力強く茂る針葉樹林、まぬけでおどけているようなカリブー、主人公と伴走していく心強い馬など自然は変わらずにある。マーセル・セローは(日本の読者の皆さんへ、http://www.chuko.co.jp/tanko/2012/04/004364.html、中央公論新社、最終閲覧日二〇二〇・二・三)でもののあはれに触れ「現世の無常を感じとり、移りゆく季節の美と命のはかなさをとらえる感性は、まさしく僕が『極北』で描こうとしていたものだったのです。」いっている。人類の近未来を描きつつ、人間中心ではなく、自然の中のひとを描いているのである。近年はサステナブルや超高齢社会という言葉も古くなってきたが、文芸はもっと先を見ていかなくてはならないのである。そして現代における未来は鉄腕アトムやドラえもんではなく、『極北』のほうがしっくりきてしまっている。

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