霊界もきびしい ルドルフ・シュタイナー著『テオゾフィー 神智学』を読む

 自分より遠いものは影絵のように大きく見える。最近大きなものをもう一度信じたいと思えるようになってきた。そんなときに神智学の本書を手にとった。ウィキペディアによると音楽家のスクリャービンや詩人のイェイツも傾倒し、東洋思想への架け橋にもなったようだ。神智学はデジタル大辞泉によると「神秘的直観によって神の啓示にふれようとする信仰・思想。」とあるが、Wikipediaなどを読むと主義や、それぞれ定義にブレがあり、単一のテーゼはない。
 本書ではまず、人間は三つの世界に住んでいるという話から始まる。一つ目は体で、体をとおして知覚することができる世界に属しているという。二つ目は魂である。快不快は人間の内面的な、魂的な生の作用で感情のなかで第二の世界を生み出す。そして、意志をとおして物質的な外界に影響を及ぼすのである。三つ目は霊である。本書で「思考の法則に従うことによって人間は、体をとおして属している秩序よりも、さらに高次の秩序に属することになります。このような高次の秩序こそ、霊的な秩序にほかなりません。」と簡潔に述べているが、精神分析学の超自我に近い概念のようだ。三つの世界は神秘的・スピリチュアルな感じというよりも、精神分析的な感覚に近い。魂は日常的な生活でもはたらいているので、本書では動物でもそなえているの考えられている。しかし、共感や反感から生じるあらゆるものから解き放たれた、真理を兼ね備えた魂を意思魂と呼び、一般的な魂のはたらきと区別している。意思魂は倫理学のカントの道徳論に近い概念と捉えていいと思う。このように、神智学は他の人文学分野で説明できそうな分野もあり、学際性がある。
 魂のはたらきにより内部にある霊が反応するという構造がみられるが、霊は内部に籠っているものではない。物質界と同じように霊的世界には、人は霊人として存在し、霊的な皮膚(アストラル体による?)に包まれながら生活を送っている。そして、直感をとおして世界の霊的な内容を知覚する自立した霊存在になるというのだ。
 霊的な構造においては精神分析学のような力動が体・魂・霊の間にみられる。しかし霊の存在においては輪廻転生のような作用もみられるのである。遺伝学的な祖先とのつながり以外に、生殖や遺伝とは異なる霊的なつながりがあることを説いている。祖先でなくても先行する人生の体験の成果が、その後受け継がれた生に影響を及ぼすという。つまり、全く血縁関係にない者の霊が、一定のプロセスを経ていま生きている人間に引き継がれる。つまり受肉するのである。そして受肉する環境においても、暗所に適応した生物は暗所に何代にもわたり生き続けるように、先行する人生が影響するといっている。これはブルデューの文化資本説が生と死を超えて壮大に展開されているということである。また、進化学や生態学の考え方も柔軟に織り交ぜられている。
 霊界も社会が存在しているということになる。死後については霊の国において浄化される。霊の国の法則に従って能力と目標を発達させ、それを地上の世界にもたらすことになる。また、物質界にて人間は物質の世界の特性と力について学ぶ。人間は物質の世界で創造的な行為にたずさわりながら、物質の世界で仕事をする人に求められることに関して、さまざまな経験を積む。地上の世界は創造的な行為の場所であるだけではなく、学習の場所でもあるということになり、仏教でいうところの徳を積むということが起きていることがいえる。
 他分野の人文学の理論をところどころ援用できそうな本書だが、形而下的な理論が魂の作用により形而上的な霊的世界につながっているということは、神智学を信じるようと思っている者にとっては希望であろう。オカルティックでとっつきにくい印象を持ちがちだが、日々の生活知でさえも魂の作用により霊の発展に寄与するのである。しかし、神智学の発達してきた時代背景もあり、霊に良し悪しがあるということは成果主義につながることでもある。来世頑張ると冗談混じりで言うことがあるが、そうは問屋が下ろさないということか。

このブログの人気の投稿

睦月都歌集『Dance with the invisibles』を読む

濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』を読む

後藤由紀恵歌集『遠く呼ぶ声』を読む