題名を思い出せない映画 大野誠夫歌集『羈鳥歌』を読む

  クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごとく見てとほるなり 大野誠夫『薔薇祭』

 最初に出会った大野の歌はクリスマス・ツリーの歌だった。いわゆる戦後モダニズムの歌というくくりで、短歌史の評論で読んだのだと思うが、時代背景などまだわからず歌だけ読んでいても、戦後の混沌とした雰囲気や、クリスマスなのにさもしいさまが印象に残った。元来私もさもしさに親しみを覚える性格もあり、歌集を読まずとも大野の歌は好きだと思っていた。
 大野の歌集はいまはなかなか出会う機会がない。今回読んだのは『羈鳥歌』というアンソロジーだ。少し横着なのだが、ざっと大野の歌を味わうことができた。なお便宜上、引用のときは抄出元を掲載し、「『羈鳥歌』所収」などの記載は省略する。

  去りゆかむわれを黙《もだ》ふかくみつめゐし父なりしかば面影消えず 同『花筏』
  何か言ひたき父なりしならむわれに向けし眉おもおもと曇りてありき

 第六歌集の『花筏』は第一歌集の前の歌が収められているようで、どういう経緯かわからないが第〇歌集といってもいいだろう。父の老いに焦点が当てられている。父の老いや、父に対するわれの思いが歌集に通底する主題である。

  海沿ひの茶房の子らは朝夕の船の汽笛に歎くともなし
  混血の貧しき子らと語りつつ窃《ひそ》かに憤《いか》るそのちちははを
  戦報に魂潰《たまく》えし日も遠くなり夜に入りて寡婦鯉を畳みぬ

 また、戦後の貧しさや、多様な人種のひとがそのなかで生活している場面の歌もある。海沿いの茶房の歌は子どもが嘆くこともないといっている歌だが、茶房や汽船で場面を描くことで、港湾労働者や、いまのカフェとは異なりもっと乱雑な茶房の子どもだということを語っている。そして、その後の歌では混血の子で生活が厳しいことを描いている。場面を詳細に描写しながら、切り替わるところが映像的である。また、戦報の歌は戦争から解放され安心した一方で、夫を亡くし悲しみや不安も安心感以上にある母が鯉のぼりを畳む歌だ。具体的かつ映像的な場面を描くことで、戦後のそして、戦中の普遍的な母の思いを語ることができている。

  激動に揺すらるる身にこゑひびく美しきものは失ふべからず  同『薔薇祭』
  雪のうへに雪ふりつもる屋根つづき幼子は話す白い白い雨がふるね

 『薔薇祭』になると大野に妻子ができ、平和への希求や家族への思いがより強くなる。終戦と戦後民主主義、外で鳴り響く労働歌、そんな激動の時代を想起した。そんな中、歌に出てくるこゑは家族の声である。歌声かもしれないし、とりとめのない会話かもしれない。前の歌ではわれは書斎におり、妻がお茶を持ってくる歌もあることから、少し離れた場所から家族をみており、失ふべからずと直接的に歌っているのが力強い。次の歌は子の独特な感性からくる一言の面白さの歌だが、モダニズム絵画のような雰囲気もある。クリスマス・ツリーの歌でも思ったが、大野の歌は曇りや夜が多いのも特徴だと思う。そんなグランジなところも惹かれる。
 
  兵たりしものさまよへる風の市《いち》白きマフラーをまきゐたり哀《かな》し
  すべもなくけふは売らなと携へし絃《いと》切れし楽器・仏蘭西革命史など

 ここまで大野の歌は映像的という鑑賞をしているが、単に視覚的というだけでなく、歌として成立するためにはその中に視覚的情報に暗喩や象徴が潜んでいて、かつ美しくなくてはならない。兵たりしの歌は、風の市と白きマフラーという道具だてが兵のあやうい立ち位置や精神状態を暗示している。そして、光景としても印象深い。この歌も場面設定的な修飾がなされており、映像的であるといえる。すべもなくの歌は戦後の混乱期や復興の機運のなか、物質的な価値観が優位になってきた雰囲気を捉えている。精神的なものの象徴として楽器が、戦時中の国政を批判的にみてきた象徴としての仏蘭西革命史が売りに出される。言いたいことを取り巻くように道具立てや比喩などで装い、直接的に詠わないところに反アララギの意識があったのだと考えられる。
 巻末の解説で秋谷豊が「映画のシーンを見るような感動を覚える。あるいは大野氏自身映画的手法を意識して試みたのかもしれない。私の気ままな読み方からすれば、このあたりに大野氏のめざす新しい抒情へのひとつの原点があると思う。」と述べているが、筆者も共感するところで、映画がワンシーンで多くのことを語れるように、大野自身も映像の力を知っており意図的に映画的手法を用いていたのだろう。本文で引用した歌でも父、子ら、寡婦、兵たりしものと登場人物が多い。さらに家族だけでなく、子ら、寡婦、兵たりしものは歌のなかでのみ登場するいわば映画の登場人物である。そうした手法を使いながら大野は何を詠いたかったのだろう。父の老いの兆候や、混血の子らや寡婦のおかれた状況これはを描き、その人々へ思いを寄せている。苦しい時代の空漠とした雰囲気は伝わってくるが抉るような批判はない。大野が詠いたかったものは、時代の中に生きている人間に対する関心なのかもしれない。特徴的な映画的表現で、近代文学ではオーソドックスともいえる人間への関心をひたむきに高めていった歌人なのだと思った。

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