散歩者の日記2019年12月

某日
 いろいろ入用なので蟄居倹約する。明後日も休みだが同じく引きこもる予定。『戦闘妖精雪風』を読了して、いい小説だなと思った。短歌の自己効力感は低いままだが、かりんの月詠を書いてるときに、そんな悪くないんだよなぁと自分で思ったりもする。

某日
 ティファニーへ行く。アクセサリー売り場の奥の奥にあるので、ラスボスみたいな緊張感がある。アクセサリーは遠い世界で、壁を感じていたのだが、アクセサリーもやはり文化なのだよなぁと思う。カルティエ展も行ってもよかったなぁ。
 かりんの原稿をすすめる。エッセイも書く。そこそこ筆が進んだ一日だった。
 久生十蘭『肌色の月』、『金狼』読了。どちらも浮かばれない。

某日
 休み明けの出勤。電車で隣に座った人が強い尿臭を発している。歳はとっておらず動きも悪くない。仕事で会ったら気になるのだが。

某日
 オーボンヴュータンというフランス菓子屋のベラヴェッカというシュトーレンに似た菓子を食べる。無花果やナッツ、干しぶどうや八角などドライフルーツとスパイスが、洋酒と砂糖で固められており、陶酔するようなスパイシーさがある。なかなかの高級品らしい。いままで食べた菓子の中で間違いなく3本の指にはいる美味さ。合わせる飲み物は紅茶だと香りが相殺するし、コーヒーって感じでもないし、ホットミルクだと味がぼける。白湯で香りを蒸気とともに鼻腔に充満させるのがいいだろう。

某日
 ホーム・アローン3がテレビで流れており懐かしさで魅入ってしまう。中島義道著『カントの「悪」論』読了。カントの倫理学のわかりやすい解説書。

某日
 閻志著/竹内新訳『少年の詩』読了。商人になった詩人はいつまでもこころの中に故郷を持っている。

某日
 残業が長かった。明日が休みなのでまぁいいか。12月の日記が少ない。あまりイベントが多くないのか。

某日
 かりんの前月鑑賞の締切日。休日なので99.9%ほど朝完成させる。夜もう一度見直してメールで送ろう。
 久しぶりに床屋に行く。顔剃りやマッサージなど懐かしい。髪型も少し古風ながらさっぱりした。

某日
 尾崎紅葉『金色夜叉』を読み始める。貫一が京を熱海で足蹴りするシーンはたしかにハイライトだ。月に照らされて二人が墨のようや、燃えるような目で睨むなど描写に優れており、雅文体も慣れてくるとすらすら読める。貫一が京を糾弾するところもなかなか熱が入っている。展開が楽しみだ。

某日
 百パックで三百円程度の紅茶があり、職場で愛飲している。いままで適当に淹れていたが、今日はしっかり蒸らしてみた。なかなか美味しい。最近紅茶が気になる。
 金色夜叉はさらに面白い。わたしは悲観主義者なのか。
 あまり社会の常識とかオフタイムに言いたくないのだけど、わりと皆定時報告しない。あくまで集団の性質的なもので、世代的なものではないようだ。

某日
 始業前の紅茶が美味しい。抽出時間を調整して渋みが少ない時間がわかったが、安いティーパックなので香りは少なめ。でも躊躇なく飲めるのでいい。金色夜叉はいい調子だ。来週には読了できるといいな。

某日
 かりん忘年会。前半の司会をしたのだが、全体の責任者の遠藤さんがきめ細やかなところまで調整してくれたので、ほぼアドリブで話すだけで終わった。立食パーティーも美味しいものが盛りだくさんだったのだが、食べ残しがどうしてもバイキング形式だと出てくる。非常にもったいないので、全国の食べ残しで生きていきたいなど考えていた。今年は様々な災害や、文学的な出来事があった。過ぎてしまえばすぐだ。来年はさらに作品を発表していきたい。例年どおり新人賞は欠かさずに出そう。

某日
 昨日の疲れが抜けない。賞与日なので椿屋カフェに行く。美味しいコーヒーとショートケーキ、クラシック、素敵な調度品でたましいを回復させる。短歌連作50首を編む。

某日
 紅茶に差し湯してみた。薄い渋いお湯になった。不味い。

某日
 生きづらさに回収されてしまう今の短歌において、何が問題か考えてみた。決定的に不味いのは生きづらさというカテゴリありきなところかもしれない。これでは類型に当てはめているだけだ。個人的には短歌の批評は印象批評を集積していき、どこかでそれらをまとめて分析するという作業だと思っている。ブログであえて印象批評を載せ続けるのもそのためだ。結局わたしは読むことと詠むことしかできない。

某日
 電車にて男という生き物は脚を閉じて座ることができないのかと考える。

某日
 休日。歌集を読む。原稿とエッセイもあるんだけど年末年始でもできるしな。

某日
 昨日今日と風邪気味。エッセイを仕上げるはずが進まず。しかし牧野富太郎『植物知識』を読了して、田山花袋『田舎教師』を読み始めた。『植物知識』はコンパクトに花と果実についての解説が書かれており挿絵付きで面白く読めた。花は生殖機で交配する必然性を人間にもなぞらえており、そのあたりが強調されていた。水仙や曼珠沙華は花粉で交配しないので、子を産まぬ女のようであるとかね。おそらく植物と距離のある読者に親しみを持ってもらえるようにという工夫なのだろうが、近代だなぁという感じ。植物への愛は多分に感じられた。他の著作も読みたい。『田舎教師』は風邪であまり集中できなかった。再度読み直そう。
 しゃぶしゃぶを食べに行き、2色鍋なので白だしと、すき焼き風にした。すき焼きのほうは完全に鶏すき運用にして、鶏すきと豚しゃぶという形で食べた。すき焼きは美味しいなぁ。
 その後エッセイ完成。

某日
 ケーキがどこにも売っていない。椿屋で買えた。流石椿屋!

某日
 『田舎教師』を引き続き読んでいる。自然主義って『布団』や徳田秋声のようなイメージなのだが、『田舎教師』はあまりじめじめしていない。ところどころ「明星」や文壇照魔鏡事件が出てきて面白い。読み終わったら蒲原有明とか読んでみようかな。

某日
 虹を見た。いいことがあるかもしれない。お願い事はしなかった。
 御歳暮の紅茶セットで飲み比べをする。
 『田舎教師』が面白い。清三は詩人にも俗人にもなれず宙ぶらりんに教師をしており、周りの友は出世していく。啄木かと思わせる感じだが、無聊な感じが共感できる。

某日
 御用納めのなか、仕事は続く。アッサムティーは香りと甘みに癒やされる。

某日
 『田舎教師』読了。面白く読んだ。清三は結局詩人にも、俗人にもならなかったが、いい趣味人にはなっていた。死去のきっかけは遊郭で遊んだことかもな。不摂生そうだったから。最後にしげ子が現れたのはよかった。
 スーパー在野人という言葉を思いついた。使わないだろう。
 散歩をする。北秋津から新所沢まで歩く。いろいろな庭や看板や、街路樹やアパートを眺める。歩かなければわからない土地の性質というものがある。アンデルセンでアップルパイを食べる。
 『田舎教師』オマージュの連作をつくる。なかなかいい感じだ。本歌取りとか引用よりも最近オマージュに可能性を感じる。気分と態度でいうところの気分をオマージュで高めるというか。あと、やはり散歩をすると歌ができる。急にワイルドの『サロメ』を読みたくなる。岩波文庫版で早速購入。短歌研究と角川短歌も買う。

某日
 仕事納め。芥川龍之介のドラマは見逃した。まぁ本を読めばいいか。短歌は昨日の連作などを考えると、自分のいい歌の基準が定まってきたような気がする。

某日
 大晦日。「かりん」、歌集、『サロメ』、平出修『畜生道』を読む。平出修はよさそう。泉鏡花もより来年は読んでいきたい。