散歩者の日記2019年4月

2019年4月1日
 新元号「令和」が発表される。万葉集が出典ということもあり、友人何人かにどう思うか聞かれる。正直関心がないのだが、様々な見方ができるのだよみたいな意味深なことを言ってみる。いつか古典も勉強せねばと常々思っている。

某日
 自宅の近くの観光牧場にいく。牛舎から出て何頭か牛が寝ているが、牛舎内の牛も寝ている。牛にとって休息こそが人生なのかもしれない。チーズがたくさん乗ったドライカレー、ジェラードを食べる。ミモレットやカチョカバロも売っておりワイン好きにはたまらない店だろう。

某日
 エリックホッファーの日記を読んでいる。在野の社会哲学者で、港湾に積荷の上げ下ろしをしていた人物だ。労働者と思想家の二足のわらじを両立しており、思想というより、在り方において影響を受けた。鴎外や杢太郎より、じっと手を見る啄木に近い。

某日
 職場の行事で余興をやることになっている。仕事終わりに練習をするのだが、その後執筆、校正、作品と向き合うなどするとハード。なんとか乗り切った。最大の敵は日々の消耗だなどと『ジャン・クリストフ』で言ってたなと思うなどした。

某日
 通勤や終業後に木下杢太郎詩集を読んでいる。白秋や泣菫など、近代の象徴詩は少し前までは苦手に感じていたが、最近は読んでいて楽しい。短歌においてもリアリズムの更新がみられるという言説があったが、近代日本文学におけるサンボリズムに関しても一度再検討したほうがいいのかもしれない。

某日
 久々の休日だ。午前中は寝ていることが多く、歌集をぱらぱら読むなどした。図書館から木下杢太郎関係の書籍の到着通知がきている。夕方からは中野サンプラザにて、佐山加寿子歌集『鈴さやさやと』、谷光順晏歌集『空とかうもり』の出版記念会。雨が降っていて気温も冬並み。普通なら寒いのは嫌なのだが、佐渡を舞台とした歌集を読む日は多少気温が低いほうがよい。中野サンプラザの一階のカフェのコーヒーはあまり香りがない。
 〈「あの愚痴に角《つの》十本は生えてゐた」わが裏がはまで言ひあてし母 谷光順晏『空とかうもり』〉、〈潜きゆくわれに寄りくるもののけに美しきターン見せてやるなり 佐山加寿子『鈴さやさやと』〉出版記念会は批評会よりも寿ぐ傾向があるが、魅力を多角的に発掘できるので初参加ながら面白かった。皆さん歌を引用しつつ批評、鑑賞していたが、ここでは挙げられていなかった歌を一首ずつ引用する。谷光作品は個人史、とりわけ母と、仏教世界の交錯が特長的だが、その母への愚痴を仏敵のように喩えており本歌集を端的に表す一首だと思った。佐山作品は少しナルシスがある歌を引いた。具体的な巫女舞の場面を詠った作品で魅力的な作品は枚挙に暇がないが、引用歌のような振り幅のある歌も面白い。お食事も美味しくいただいた。

某日
 塩バター紅茶はちみつパンを食べる。おいしいが、これ以上何か付け加えるともう限界というほど味が渋滞している。彦摩呂的にいうと美味しさのダムが決壊しそう。

某日
 映画『風立ちぬ』が地上波で流れていた。初めて観る。ある人が二郎に似ているなどと言ってくれたことがあったが、実際作品を観てみると私はそんなに立派ではない。いい話には弱く、泣きそうになった。

某日
 貝澤駿一氏とチェホフ「かもめ」の観劇にいくのだけど、観劇といえば森枳園だなぁと思った。電車で杢太郎を読んでいる。チェホフもいえば寺山修司で寺山といえば啄木。啄木忌は昨日だったか。登場人物ではセミョーンという教師が好きだった。彼は完全に蚊帳の外で、道化だ。しかし、大変苦悩をしている。絶望は何度もしてるが物語の本筋ではない。

某日
 丸井重孝著『不可思議国の探求者・木下杢太郎 観潮楼歌会の仲間たち』を読了。杢太郎の評伝、精神史、文人仲間(新詩社からアララギまで)と細やかに調べ考察している。啄木との関係は面白かった。特に杢太郎の超然とした思想や雰囲気に、貧しかった啄木が憧れつつ最後は反発したところが面白い。あと啄木は同年代の歌人からみて少し扱いが可愛そう。

某日
 週末にかりんの東京歌会があるのだが、その前に勉強会がある。遠藤由季歌集『鳥語の文法』を取り上げるのだが、今回は私はプレゼンをしない。そんなときは歌集を読んで、印象批評的に文章をまとめて、勉強会当日にブログにアップするのだ。今日はそのために歌集を読んで文章を書いていた。

某日
 今日は同人誌「geko」の入稿作業や、辻さんの批評会の進行表の作成をしていた。何か歌集を読みつつ作歌をしようと思ってもできない。いま坂井修一論で二つのテーマを研究しようと思っているが、なかなか進まない。

某日
 髪を切った。千円カットなのでささやかな出費なのだが、髪を切るというシンプルな行為くらい自分でできないものかといつも考えている。カミソリで切ることをレザーカットというらしい。カミソリなら自分でできるかもしれない。大谷卓史『情報倫理 技術・プライバシー・著作権』を読む。社会問題などはネットの出来事を現象学的に考察するようになり、ネットスラング的な記事になると学術書を読んでいるはずなのに、どこか掲示板のレスを読んでいるような気にもなる。アカデミックに考察しにくい分野かもしれない。また、倫理学ということだが、この手の話は法学、社会学、心理学なども関わることであり、論じることの難しさを読み取れた。この読書体験が情報社会における短歌の考察にいつか役立つといいのだが。木ノ下葉子歌集『陸離たる空』も同時に読む。明日以降もう一周読んでいろいろ鑑賞していきたい。歌もそこそこつくった。

某日
 マルちゃんのカップ焼きそばを食べる。金色のパッケージと値段の高いだけあって、美味しい。太くコシのある麺に、旨味のあるソースが絡みつく。カヤクはキャベツの食感も残っており、一つ一つが大きい。今まで食べたカップ焼きそばで一番おいしいと言っても過言ではないのだが、ゆえに食べ終わったあとに物足りなさがある。ある程度並の味のほうが、飽きも手伝って満腹感を得やすい気がする。文学はそうはいかないか…と何故かカップ焼きそばから文学について考える昼休みだった。

某日
 かりん勉強会と、かりん東京歌会の日。かりん勉強会は遠藤由季歌集『鳥語の文法』。当ブログでも先駆けて『鳥語の文法』の記事は書いたが、勉強会では中武萌さんの、第一歌集『アシンメトリー』との関係性についての話が面白かった。
 昼は近くのプルミエ サンジェルマンというパン屋さんで、クロワッサン、カレーパン、シナモンロールを購入。カレーパンが売りのようだが、その他も大変美味しく頂いた。午後は歌会で、結構ギリギリの歌を評してもらったが、ギリギリ…アウトのようだ。とはいえ、最近は自分の文体が出来てきているような気がする。根気強く続けていけば総合誌からも歌の注文がくるかもしれない。懇親会ではイタリアンと熟成肉のお店に行った。熟成肉はたしかに柔らかく、味も旨味が強くなっている気がするが、新鮮な味わいだ。

某日
 今日は仕事が体力面でも精神面でも消耗した。ホルスト「惑星」を聴きながら木ノ下葉子歌集『陸離たる空』の鑑賞を書いている。今日は読む日であって、詠む日ではないようだ。『あしたの孵化』批評会の作業をしつつ、文フリの同人誌の進行をして、ブログ書いて、作品作って、その他読書しつつ、歌集を読むという少し詰め込みすぎなのかもしれない。

某日
 易経に関心を持ち始めている。新たな世界を見る視点になると感じているからだ。短歌の表現の幅も広がるし、易占もできるようになるかもしれない。何冊か読んで地道に研究する予定で、ひょっとすると来年の文フリなんかでは筮竹をじゃらじゃらさせているかもしれない。岡井隆著『木下杢太郎を読む日』を読んでいる。面白いが杢太郎のうちに秘める屈折を遠目に見ていて辛く感じるようになってきた。
 読書や作歌、執筆時に仕事終わりに取り組むことになるので、どうしても疲労感や眠気に襲われて捗らない。少しストレッチなどしたあとに、瞑想の真似事でもするとすっきりするかもしれない。今後の課題である。

某日
 易経の本を2冊読んだ。卦と爻を読み取るときに、易者は易経を引くのだろうか。暗記してスパッと占断するのだろうか。アウトラインはとりあえずつかめたので満足。擲銭法がまぁ大仰ではなく、かつわかりやすいのでいいけど、いつか筮竹をじゃらっとさせてみたい。易の本なのに、新書の方には杢太郎がところどころ引用されていた。

某日
 あと一日働けば連休だということで、椿屋珈琲店に行ってしまった。シフォンケーキと珈琲をいただく。シフォンケーキには金粉がふりかけられており、持たざるものを食うちぐはぐがある。

某日
 私の誕生日。何度も忘れ、指摘されて思い出す日。あまり自分の人生に興味はなく、よっぽど文学のほうに興味がいく。面白い夢をみた。西武園ゆうえんちが改装されたとのことで行ってみるのだ、ベンチの脇から日本の各地に点在する温泉が湧き出しているのだ。そして、ある場所にいくと、地面に細かい溝と、粘液上のものが薄く敷かれていて、滑るようになっており、靴のままスケートができるのである。また、地下に降りるとミュージアムがあるのだが、そこまでは行けずに起きてしまった。そんな素敵になるはずの日も残業はある。平成最後の残業といえば多少いいが、私は小熊秀雄の詩を夜読むことで気を紛らわせた。

某日
 深大寺にいく。春の深大寺は清々しい。本殿にいくということは水の流れに逆らうこと。句碑や木々の名を明かしつつ歩いていく。湧水という蕎麦屋は相変わらず混んでいる。ネットで有名ということだが、それにしても一極集中の感がある。前にもお世話になった本陣という蕎麦屋にする。野草天ぷらセットがある。野草ということで気になり注文する。たらの芽や蕗の薹など、あと識別できない野草もあった。井の頭公園にいく。弁財天がカップルを見て嫉妬して、井の頭公園でカップルがボートに乗ると破綻するという都市伝説があるが、それを知ってから知らずかカップルが多い。またスワンボート密度が高く、池が水たまりに見えてきた。カップルだろうがなかろうが、池で密集した状態でボートに揺られる楽しさが共感できず眺めるにとどまった。夜は池袋で中学からの友人と食事をする。

某日
 今日は一日何もない日。このような日が多いと捗るのだが、人生と文学は相容れない部分がある。私の場合は角川「短歌」的ヘビーヴァースというより、スタンス的にはヴァースと言ったところか。そういえば読んだことないなということで小笠原鳥類詩集を図書館で借りる。NHKのニュースサイト(健康保険組合の保険料 3年後には約55万円に 高齢化で、http://k.nhk.jp/knews/20190429/k10011900491000.html、2019年4月30日最終閲覧)を読んで残念な気持ちになる。昭和の粗が平成で明るみになり、令和に引き継がれるというのは環境問題について考えるときに、思い浮かぶ時代感覚だが、制度についても然りだ。制度的疲労など言われるが、疲労どころではない

某日
 今日は歌誌連盟の会に行く。平成最後の日で四月だけど五月雨。日本の雨はもう穀雨より豪雨だよなぁと思う。日記を一ヶ月つけて、効用としてはツイッターをあまり見なくなったこと。ツイッターで流れてる“いい歌”をみてると、もう短歌辞めちまおうかと思うときがあるので、あまりツイッターはみないほうがいい。最近は塚本邦雄と小熊秀雄の日々だ。〈齒もて剝ぐ酢の王冠のなまぐさきうつつ黃金週間畢る /塚本邦雄『水銀傳説』〉こんな歌もありタイムリーで面白い。公共哲学の本も同時に読んでいるので、少しリベラルな気分になる。二次会?は若手で、中野南口のスペイン料理ボケリアへ。タコスや、タコスっぽいグラタンなどメキシカンもあり満腹。短歌も頑張らなきゃなぁ。