散歩者の日記2019年5月

2019年5月1日
 昨日の短歌漬けの一日が夢のようだ。いやもしかすると夢なのかもしれない。令和元年最初の日だ。今月の「かりん」誌はあまりいい場所に歌が載っておらず悔しい気分。ネットの炎上の歌なのだが、微妙か。生業は連休中日ということでバタバタしている。平和を希求する者としては辛い一日。帰って歌集を読みとりあえず終わりとしたい。

某日
 缶コーヒー片手に散歩するのが至福のひとときだ。躑躅を愛でつつ、躑躅に吸いつつ、春の空気とともにコーヒーのかすかな香りを楽しむ。カナブンがホバリングしている。カナブンが恐ろしいのは何も考えず、生命が迫ってくるところだ。私は接近してくる生命あるものが怖い。
 今日は「能と狂言 人間国宝の競演 友枝昭世と山本東次郎の至芸」を新百合ヶ丘で鑑賞する。狂言は月見座頭、能は葵上、解説は馬場先生という豪華なラインナップだ。月見座頭は盲目の男が町人と月見酒をし、不条理に巻き込まれる話、葵上は六条御息所の生霊が葵上に憑く話だ。月見座頭の不条理さは馬場先生が、江戸に書かれているがモダンというように、芥川龍之介的な不条理さがあった。葵上は源氏物語の出典だが、馬場先生の解説で最後に般若のまま悟りを開き、般若は智慧という意味と仰っており興味深かった。般若の苦悩の表情のさきに悟りがあるのではというくだりがあり勉強になった。
 その後、古谷さんと中武さんと加賀さんとお茶をしたりケーキを食べたりした。新百合ヶ丘に紅茶専門店があり華やかな香りに包まれながら芸の余韻を味わった。ちょうどこの時期に短歌界隈は少し議論があったが、甘味をつつきつつ、お茶を飲むのが文学だと思った。いや、ちょっと違うか。ただお茶してるだけだ。

某日
 コメダ珈琲で「元祖ジェリコ」というコーヒーゼリーとアイスコーヒーにクリームが乗ったものを頼んだ。「旧約聖書が下敷きにある」などと私が言ったところ、ジェリー&コーヒーでジェリコではと教えてもらった。尤も私も旧約聖書は門外漢で、〈ジェリコ見しヘブロン見しとふりかへる「見し」はなにほども実り持たねど 坂井修一『青眼白眼』〉で知った。本歌集には旧約聖書のモチーフも散りばめられており、一度作者の思想を経由して、現代社会に歌が照射されるダイナミズムも魅力だろう。間接的に現代社会における神について触れているのかもしれない。

某日
 小熊秀雄『飛ぶ橇』を読み始める。プロレタリア文学が衰退していくなかで、登場した詩人ということだが、読んでいくうちに状況論とともに気になる詩人だ。そのうち彼の短歌を中心に何か書きたいと思っている。
 かりん勉強会の調整をする。六月は松本典子歌集『裸眼で触れる』の予定。もろもろ無事快諾いただき一安心。そして自分も発表するので読み込まねば。本日は千葉方面で勉強会。北千住を越えるあたりで海を感じる。詳しくはここでは触れないが、頑張らねばという気持ちになった。
 『飛ぶ橇』も読了した。この詩集についてはプロレタリアでも、社会主義的リアリズムでもない実存感覚がある。厳しい現実認識はマルクスの唯物史観を超えて小熊自身の文学になっている。

某日
 今日は文学フリマ東京。gekoの会からは合同歌集「geko」を発売した。売れ行きはもう一息といったところだが、様々な方に読んでいただいて、また自らの私家版第一歌集ということで大切にしよう。また、多くの人とご挨拶できるのが文フリのいいところ。出店は暇になるので一人吟行をしていた。その後サイゼリヤでお疲れ様会。サイゼリヤはもはやお約束だ。

某日
 連休明けの出勤はてんてこ舞いと思い覚悟して出勤したが、終わったらあっという間だ。シナモンロールを食べつつ歌集を読む。最近舌がタリーズに慣らされてきた気がする。

某日
 今日は仕事が多かった。いくつかは明日に持ち越し。精神的にはまだ頑張れそうなので帰ったら、文学をしよう。

某日
 チキンラーメンと水道水を飲む毎日だけど、頃合いを見てチキンラーメンを抜いて、水道水のみ毎日にしたいなんて、思っていたら会議のストレスが重なり、クレープとプリンを食べてしまった。2個連続でコンビニスイーツを食べても美味しくいただけた。
 歌が今日もできない。ブラックホールのネプリ「スーパーマッシブ」は拙歌をツイッターで言及してくださる方がいらした。ありがたい。

某日
 明日は辻聡之歌集『あしたの孵化』の批評会。懇親会の手配などは完了。あとはちょっとした準備をして本番に臨むのみ。批評会を前にするといつももう少し歌集を読み込めばと思う。今日も歌はつくれず。明後日はフリーなのでそこで歌を少しつくれたらと思う。祖父は丸地守という詩人なのだが、食卓で小熊秀雄は唯物史観を超えた独特の実存感覚があるということを話したがイマイチわかっていないようだった。詩と思想の関係についてはあまり好みではないのか。

某日
 今日午前中は病院に受診して、午後は辻聡之歌集『あしたの孵化』の批評会。歌集で登場する正しさや、時代を反映した歌が逆に時代とともに古くなること、詠い上げない世代?などいろいろと興味深かった。私性の在り方が近代短歌に近いという発言もあり、確かにそうなのだけど、自動筆記みたいな歌集があるけどそっちのほうもレトロ感あるんだよなぁと思った。また多くの参加者がいて充実していた。懇親会も盛況だった。一次会二次会ともに司会と会計をしていたので疲れてしまい三次会は不参加。中野駅から新井薬師前駅からいつも歩くのだが静かな街で気分が少しずつ凪いでいく感じがする。西田幾多郎『絶対矛盾的自己同一』を読むがほとんど理解できずに読み終えてしまった。明日はフリーな一日。ゆっくり家で読書をしたり歌をつくったりしたい。

某日
 一日フリーだ。二度寝したり、ツイッターでネプリや同人誌に言及していただいているので拝読したりして午前中過ごす。拙歌の〈鶏卵がはじめて光にさらされて熱々ご飯とともに食われる 「啄木の黒きもの」(ネットプリント スーパーマッシブ所収)〉についてはこの歌から導入し、啄木の本歌取りや他の歌につなげる構成について言及していただいたり、「geko」についても歌を引用していただくなどしていた。ネットで褒められるのは嬉しいが、刹那的なものだと、非ネット系歌人の言説がよぎり、それもそうかもなと思った。仲正昌樹『ポストモダンの正義論』(2010・筑摩書房)読了。思想史をざっとさらえた。読書記録も多めにつけた。
 午後は散歩やら、5月の気候が心地よい。缶コーヒーを飲んで躑躅を見ながら歩くのが至福のひとときだ。私は躑躅が一番好きかもしれない。道の仕切りとして植えられているのに、花が咲く。咲いたら咲いたできれいと言われるが、仕切りである。そんなところが実務系歌人の私と被る。歌はそこそこだが、それ以上にはたらく。
 図書館で借りた本を返す。そのついでにマシュー・シュレシンジャー著『発達ロボティクスハンドブック: ロボットで探る認知発達の仕組み』を読了。心理学部分は概ね理解しているため、人工知能部分を読んだ。ゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』を読み始める。かなり面白い。『源氏物語』を読もうと思っていたが先にゴーゴリだな。
 カーネーションを母の日のために買う。啄木っぽくてベタだなと思うが。

某日
 ある会派の議員が北方領土を戦争で取り返すのは賛成か、などと発言しているニュースが物議を醸しだしている。阿呆らしいが阿呆らしいで済まない時代になっている。歌にするか日記に書くか迷ったけど日記にした。あぁ鶴亀鶴亀。世田谷文学館では石ノ森章太郎展がやっているらしい。是非ともどこかで行きたい。

某日
 疲れている。今週は六連勤なので心理的に圧迫感もあるのかもしれない。ポイントカードを現金化、ネットバンクの口座開設などやりたいことはあるのに、それすらできていない。森鴎外を読んでも疲労で頭に入らない。明日また一から読み直そう。あと次の休みでロト6を買おうと思う。小熊秀雄の短歌集は二周目だが一周目ほど驚きはなく、むしろ寓話的であったり題材は面白かったりするのだが、少し甘い歌が多い。

某日
 今日も歌はできない。平日は疲れていて困難かもしれない。できてもいい歌にならない。森鴎外『細木香以』にリベンジする。やはりうとうとしながら読んだ。『渋江抽斎』のほうがドラマチックというか、大河小説のような感じだった。たしか娘が武家に奉公に出て、しっかり者だったり、森枳園が芝居好きで離縁されて、戻ってきて、抽斎亡き後は後見的な活躍をするなどうろ覚えだが、展開があった気がした。
 最近私みたいな中途半端なタイプはものを書けない、書いても食えないと思うことがある。室生犀星などは小説で稼いだと聞くが、文フリの小説島をみると、かなり困難だと思う。打算的に時間をどう使うかを考えると短歌をこつこつ取り組むのが一番かもしれない。それも近代や古典に触れつつ。

某日
 平日は日常まみれの職場詠をつくるにはいいが、その他の歌はできない。休日につくるか平日につくるかで、何を詠うかをコントロールできるだろう。今日はそこそこの仕事量で遂行できた。明日はもう少し頑張ろう。知花くららさんという方の第一歌集の宣伝がツイッターで流れてくる。ハッシュタグで歌人デビューと書かれていて、歌集をもつことが歌人デビューなのだろうかと考えていた。椿屋カフェで抹茶あんみつを食べたが美味しかった。マンゴータルトもあったので明日も椿屋に行きたい。
 『ディカーニカ近郷夜話』の「水死女」を読了。水死女が無念を晴らし、若者が父親を超える物語。ウンディーネではなく水死女というのがロシアっぽい。また、ロシア文学の壮年男性は、若い女性に手を出しすぎる気がする。
 クレジットカードのポイント還元は無事できた。図書カードが届くのが楽しみだ。

某日
 松村由利子さんの『光のアラベスク』を何週目かを読むが、そこまで進めず寝てしまう。仕事が最近疲れる。帰りに椿屋カフェで食べたヴィーナスマンゴータルトが美味しかった。

某日
 六連勤が終わった。今日はそこそこ落ち着いていた一日。明日はかりんの東京歌会なので、栄養ドリンクを飲んで疲れをとってから眠ろうと思う。ツイッターでは現代短歌を批評する会についてや、大学短歌会について議論なされている。少し距離を感じる議論だが何かしらで文字にまとまってレビューできるようになるといい。『ディカーニカ近郷夜話』の「紛失した国書」読了。日本の鬼は情念だが、ロシアの悪魔(妖女)は人間臭い。キリスト教の強い信仰もあり、悪魔を恐れない精神性があるのかもしれない。

某日
 昨夜からいくつか歌ができる。休日にまとめてつくる習慣を身につけられれば捗りそうだ。米川さんから実は以前そうするといいよとは言われてたが、ここにきて実感する。ゆっくり起きて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲をかけながら準備をして、軽く掃除機をかけるいい朝だ。ロシアの作家や作曲家は眉間にシワを寄せている人が多い気がする。
 かりんの東京歌会に向かう途中に『光のアラベスク』を読む。何度もじっくり読まないといけない歌集だなと思う。
 梅照院に参拝して、近くの寿司屋すし政で昼を済ます。八百円で握りを食べられるのでお得だ。味もいいため、付近に住んでいたら回転寿司に行く選択肢がなくなるだろう。
 東京歌会は人数が今日は少なかったが、評に時間を十分割けたし、空気も薄くならなかった。いつもより多く発言してしまって後悔。蛇足だった評もあっただろう。二次会はもんじゃ焼きやお好み焼きを食べた。上手く焼けるように定期的に行きたい。三次会はおしゃれなバーにいく。トムコリンズとアイリッシュコーヒーで酔ってしまいここでも多弁に。これだからお酒は嫌だ。明日仕事をしたら明後日は休み。休み前ならば平日もそこそこ歌をつくれるだろう。

某日
 休みだったが歌はそこまで作れなかった。疲労が出たのかものもらいになって、眼科にかかる。ゴーゴリは折り返しにきている。ゴーゴリを早く読了しないと源氏物語にうつれない。木下杢太郎の『海郷風物記』を読み始めるが頭にはいらない。詩と紀行文が織り交ぜられており、民俗学的な考察もある。白秋の『フレップトリップ』とは全然違うし、折口のエッセイとも違う。独特な立ち位置だ。明日また一から読もう。

某日
 休み明けの仕事は忙しい。普段ひかえておいて飲む栄養ドリンクは最高だ。今日はアリナミンを飲む。調整事項や手配が多く、ケースワークが少ない一日。日記にもブログにも生業のことはあまり触れないが、少し深めてエッセイ程度でも書いてみてもいいかもしれない。
 仕事は意外と早く上がれ、木下杢太郎関連の本を予約していたので帰りに図書館に寄る。全集を閲しているわけではないが、三冊くらい評論集を読むとなんとなく詳しくなったような気になる。
 角川短歌賞の締め切りも迫ってくる。今年は去年よりもいい連作ができた。まだ若干の余裕があるので粘るが、結果が残せるといい。新人賞応募はいろいろ辛くもあるのだが、ここまで真剣に歌を揃えて推敲して出すことはないので、自身のレベルアップにもいいと思っている。チキンラーメンを西友で買って帰る。
 『光のアラベスク』の鑑賞を六割程度書く。今週末にはブログにアップできそうだ。自分で髪を切ってみる。櫛の根本にカミソリがついていて、梳くと切れる道具を使うと自分で簡単に切れる。美容院に今後は行かなくてもよくなるかもしれない。

某日
 岩阪恵子著『わたしの木下杢太郎』を読み始める。読みやすい評伝だ。
 短歌の会合で、特に超結社状態だと緊張するのはなぜかふと考える。自己評価の低さに起因していることがわかる。大歌人と超天才歌人に囲まれる、だめな短歌好きおじさんわれみたいな環境なのである。そりゃ緊張するシチュエーションだ。鶴亀鶴亀。

某日
 職場で徳島の金ちゃんラーメンというカップラーメンをもらう。醤油味で、カップヌードルよりあっさりしている。メンマの食感がフリーズドライにしてはよく、美味しい。木下杢太郎の本を昨日に引き続き読んでいるが、「芸術家は凡て美食家《グルメエ》である」という文句がお気に入りだったようだ。賛同しつつ椿屋カフェのあんみつを食べる。そんなこんなで『わたしの木下杢太郎』読了。二足のわらじで苦心していた様が印象に残る。生活をいれれば三足のわらじだ。なお、家族はあまり顧みなかったらしい。ユマニテについてはいい示唆があった。

某日
 昨日は職場の飲み会だったが、なんとか早起きできた。今日は世田谷文学館で石ノ森章太郎展に行く日だ。009も好きだし仮面ライダーも好きだ。しかし、原作や原画には触れたことがないという、非リアルタイム世代なので、少しでもオリジナルに感覚を近づけたい。本郷猛がショッカーに改造されるところや、00ナンバーのサイボーグたちが語るヒューマニズムに石ノ森章太郎が描きたかったものがあるのだろう。どこか孤独で、不条理や消極的なニヒリズムに傷つきながら立ち向かうヒーロー像がある。島村ジョーが追い詰められて敵に武器はまさか加速装置だけかといわれたときに、「あとは勇気だけだ」と言った場面が印象に残っている。決して前向きだけな発言じゃない。陰がある。音短歌会の原さんは世田谷文学館で学芸員をされており、館内を案内してくれた。文学に日々携わり、自身も文学をする人は貴重だと思う。絵葉書を何枚か買った。昼はつばめグリルでハンバーグを食べた。
 その後地元の図書館で『日和聡子歌集』を読む。日常にさねゆき公が出てきたり、征夷大将軍になったりとする。また、何気ない一言、例えば『びるま』の冒頭の詩の、亀が帰ってくるという一節も変で面白い。不確かさんやきっぱりさん、嚥下侍などの特定不明の登場もあらたな概念の創出だろう。最近作歌に考えていることについてのヒントになった気がする。なお、『辛子木』まで読んだ。これからも現代詩は折に触れて読んでいきたい。晶子訳『源氏物語』桐壺読了。光源氏が愛と嫉妬のなかで登場したという巻。背景の理解を促し、読者を王朝文学の世界へいざなう。
 初めてロトくじを買う。ジャンボじゃなくてこれからはロトにしよう。ジャンボが出回るときにロトをする。そっちのほうが当たる気がする。

某日
 もう少しで5月が終わる。明日は休みだ。『源氏物語』帚木読了。源氏の人間性が徐々に出てくる。他の官吏の話とか聞くと、男子高生のような内容で男は平安来進歩してないことがわかる。ロトくじは全滅。

某日
 休日。不要なクレジットカードを解約したり、掃除したり、角川短歌賞の原稿を仕上げたりしていた。少し本が増えてきたから整理しようと思う。電子化にするか、抜粋をファイリングしていくか……迷うところだが、電子化は探しにくい気がする。昼はマリカという地元のインドカレー屋さんにいく。ほうれん草カレーとダルカレーが美味しい。
 ロトくじ全滅を受けて宝くじに頼らない人生設計を考えている。生業は続けなければならないだろう。それに加えて、ウェブライターはどうか、軽薄そうな記事を書くのは気が引ける。室生犀星のように小説を書くのはどうだろう、素人が手を出してもダメか。短歌でもいいブログ記事を書きまくったら何かにつながるのか。木下杢太郎『海郷風物記』読了。水島治郎著『反転する福祉国家 オランダモデルの光と影』を読み始める。この手の本は文学的なテーマであり、生業にも関係してくる。そのうち環境問題についても深めていきたい。
 休みのときに思うのは、祖父母がいかにバラエティ番組や、大衆的な歌番組を観ているかだ。祖父は詩人であり祖母は俳人だ。なのに、文学的な精進をせずに一生の大半を俗っぽいテレビ鑑賞に費やしている。
 川崎市で児童が男に刺される事件が起きる。

某日
 餅入り最中を2つ食べる。仕事の日は歌を作れないというか作らないようにしている。少し精度が上がるし、平日はインプットに集中できるという利点がある。しかしそうしたら平日の自分は歌人なのか、ただの読書好きなのか。日曜歌人というべきかと考えている。体調もあまりすぐれない。疲労や季節の変わり目が原因だろう。この手のものは漢方や、栄養ドリンクなどで滋養をつけるのがいいのだが……。読書も短歌活動も進めず、明日の自分に託すことにした。

某日
 『源氏物語』空蝉読了。へとへとで一度仮眠をとる。
 ニュースをみて、決まったジャンルのスポーツしか報道されないのは、多様な価値観や趣味が存在する現代において、古い在り方のように思った。野球、サッカーでスポーツでスポーツコーナーが終わるが、他にもたくさんのスポーツが何かしらのイベントを催しているはずだ。そこを取り上げ掘り下げることで、日本のスポーツの多様さをアピールしていくのが報道の役割の一つだと思うのだ。また、スポーツ以外にも文化的な記事が極端に少ない。全時間帯、全局で野球を流さなくてもいいのではないか。
 体調がすぐれず、仮眠をとったわりには早い就寝。歌はできず。明日の自分がんばれ。

某日
 5月最終日。5月後半は体力不足に泣く日々だった。読書量もまあまあで、もう少し増やしたいところ。読みかけの『反転する福祉国家』が今月中に読了できれば満足だったが、時間は有限なので仕方ない。仕事はてんやわんやだった。おまけに慣れない車の運転もし、これが疲れた。帰りに椿屋カフェに行く。コーヒーとヴィーナスマンゴータルトを食べる。BGMはチャイコフスキーの四季…か、癒やされる。『源氏物語』夕顔を読了。惟光朝臣は優秀な人間だ。こういうタイプに共感を覚える。六条御息所が早速登場して、夕顔を憑き殺していた。仕事が早いというかあっという間だ。夕顔が終わったので若紫に行く前に『反転する福祉国家』の読書を再開しよう。