散歩者の日記2019年8月

某日
 午前中は軽く原稿をして朝寝。暑さで何度も目が覚める。昼は地元の和食屋で穴子せいろを食べる。うなぎよりあっさりしていてうまい。うなぎは胃を選ぶのである。わが地元所沢を改めて見回すと再開発のなかで、航空公園、八国山方面と森林地帯もみえて、都内のベッドタウンに比べると緑が多い。もっと地元を詠んでいきたい、そんな気がした。あんみつも食べた。寒天の歯ごたえと風味が他のあんみつよりも良い気がした。
 大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』読了。ジェイムズが大きな仕事をしたことや、功利主義とプラグマティズムは同じという誤解を解くきっかけになった。ローティが暗喩に関していい暗喩と悪い暗喩と分けている論が面白かった。いい暗喩は聴衆が躓くような暗喩である。大人は諦めた子供という暗喩があったとするとそれは直ぐに腑に落ちない。しかし躓くことでじわじわと影響を及ぼすのである。なお、彼は豚だという含意のないものが悪い暗喩らしい。またプラグマティズムは多元主義や多元的な宇宙があるという言説があるが、ローティは穏当な多元主義を提唱しており、多元的な価値観が穏当に交わり、上手くやっていくところにポストモダニズムとの差異がある。ポストモダニズムは交わらないのである。古典的プラグマティズムもネオプラグマティズムも、いわゆるお互い上手くやっていくという調和の側面がある。ソーシャルワークの相談援助技術で課題中心アプローチという理論があるが、これもまさにクライアントと話しながら問題点を抽出していき、上手くやっていく(暫定的な解決)ことであり、まさにプラグマティズムだ。
 母親とジョリーパスタを食べに行く。母もわたしも歳をとった。何ができるだろう。晩に『亀のピカソ』の印象批評を書く。

某日
 仕事はほどほどだった。ドトールで歌集を読みその後帰る。寝違えたのか首から肩が痛い。消炎鎮痛剤を塗る。『源氏物語』梅が枝読了。

某日
 仕事はそこそこ。坂井修一歌集『古酒騒乱』読了。なんどか途切れ途切れで読了したので何回か再読したい。

某日
 『フェルナンド・ペソア短編集 アナーキストの銀行家』読了。知る人ぞ知る作家らしい。「独特な晩餐会」はある男の静かな狂気が爆発し、周りの人々にも感染してしまうという物語。「アナーキストの銀行家」はアナーキストと金融(資本)についての哲学めいた小説で、アナーキストになった銀行家と、銀行家になったアナーキストのお話。理論だけのアナーキストと自己本位な銀行家が炙り出されている。
 チャールズモア著『プラスチックスープの海 北太平洋巨大ごみベルトは警告する』読了。海洋真っ只中にもプラスチックがあり、小さいものはプランクトンがそれを食べ食物連鎖に組み込まれている。生体濃縮を経て様々な上位の生物の内分泌疾患を引き起こしたり、大きなものは直接生物の命を奪っている。プラスチックは海洋では分解されにくく、何世紀にも保ち続けるのではという事実も恐ろしく、全世界で毎日大量に流出し、蓄積されているという途方もない状況だ。

某日
 仕事が多い。帰りも遅くなったので、仮眠して短歌活動をする。『源氏物語』藤の裏葉読了。

某日
 仕事の飲み会なので文学活動はお休み。源氏物語は読み進めていくうちにこんがらがってきてるので、掌編源氏物語などでおさらいしたほうがいいかもしれないなど思っている。

某日
 坂井修一歌集『古酒騒乱』を引き続き読む。『青眼白眼』とは違う超然とした感じがある気がする。あとは文学的なモチーフの歌が多く、自分の文学的な位置づけを意識しているような、ちょうど鉄幹や迢空や杢太郎と肩を並べ挨拶をするようなそんな印象だ。あと何度か読むと何か掴めそうな感じがする。
 愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止されたニュースからしばらくたった。神戸市がトリエンナーレの芸術監督の津田大介を招きシンポジウムの計画していたらしいが中止したようだ。こうして、リベラルな雰囲気がどんどん失われていって芸術は萎縮してしまうのだろう。そんなことを気にせず大衆に批判されながら好きな歌を読みたいものだ。これがアマの特権。

某日
 『源氏物語』は若菜上にまで差し掛かってきたが、位が変わって呼び方が変わるなど、で追いきれなくなっていたので、馬場先生の『掌編源氏物語』を読み、若菜上までおさらいする。よくまとまっており、理解が進んだ。まだ先は長い。明石の君は才色兼備で身分も安定感もあるのだが、どこかおぼつかないと思っていたけど、明石の入道が山に入ったあたりでやはり、自身の出自をまだ引きづっているというあたりから来てるのかななど思った。ソロー『森の生活』も読み始める。これは私の今の問題意識とも重なるので、こつこつ読んでいきたい。が環境に偏りすぎるのもよくないのでさっと読むつもり。『古酒騒乱』をさらに読み込む。あと2周くらいしたら少し書き始められるか。

某日
 午前中は雑誌の整理をしつつ、ソロー『森の生活』を読む。

 そうするために必要なだけの読書をしつつ、自分で掘り出して溶かした鉱石から自分自身のジャックナイフを作った少年と、その間に研究所における鉱物学の講義に出席し、父親からロッジャーの懐中ナイフをもらった少年と、一カ月ののちにどっちが一層進歩をとげるであろうか? どっちが自分の指を切る可能性が多いだろうか?

 という一節があり、まさにソローの行動哲学が見られる比喩だが、これは文学にもいえることだ。『ファウスト』のファウストが知り得なかったことのひとつではないかと思いつつ読んだ。短歌の雑誌の整理については、総合誌を読んでいて懐かしさに浸った。2015年から歌作開始で、当時輝いて見えた歌も今読むとふーんっていうこともあったり、そのまた逆もあったりで4年経って読みも変わってきたのだなぁと考えていた。日置さんから『ラヴェンダーの翳り』をお送り頂いていてパラッとめくる。これは歌集評を書きたくなる歌集だ。
 インデックス投資などの運用に悩んていたが、下記記事を見つけて貯金が手堅いことに気づく。いまは金利のいい口座を開設しているし、確実に定期預金で増やしたほうがいいかもしれないなぁ。

 積立貯蓄は積立投資より運用の利回りが300分の1しかなくても、積立額1万円を増やすだけで、「2万円、年利3%」での運用額を上回ってしまうのです。それに、投資の場合、最終的に予想される運用額が得られるかは不確実です。このように、運用利回りよりも積立額のほうが、いかに大切かがわかると思います。(定期預金で「年利3%投資」に勝つ確実な方法、https://toyokeizai.net/articles/amp/252958?page=2、最終閲覧日2019.8.11

某日
 花小金井駅のブドウヤツーという西洋料理屋がある。スパゲティやドリア、パエリアがあり、300円のセットにするとサラダ・スープ・デザート・コーヒーがつく。雰囲気もよくボリュームもありいいお店。ヨーロッパの田舎の小屋みたいな内装だ。その後つの笛という喫茶店にいく。ストレートコーヒーが適切に焙煎されている。クラシックが店内に流れており、絵画やオブジェもクラシック音楽を象徴するもので揃っている。今回はブラジルの深煎りを飲んだ。苦味はあるがすぅっと入っていく。チェイサーを挟んで香りを楽しんだ。

某日
 仕事は忙しかったが、早く退勤した。長時間残業は人類の敵だ。帰りはスターバックスでマンゴータルトを食べながら『源氏物語』若菜下と『古酒騒乱』を読む。眠くなってしまい丸椅子から何度か落ちかけた。安全を期してソファーに座るべきかもしれない。

某日
 『源氏物語』若菜下読了。最後衛門督が亡くなったのは、六条院の呪詛もあったのかもしれないなどと思った。紫の君は急変から回復したが、医学の力なくして祈祷でもこういうことがあるのだと思った。江戸時代は中医学が盛んだったが、平安時代に医学はあったのだろうか。
 帰って日置俊次歌集『ラヴェンダーの翳り』を読み始めた。最近夏バテなのかへろへろになってしまい途中で本を閉じる。仮眠して再開しようかと思ったが、叶わず。明日は栄養ドリンクを飲もう。歌も何首か詠めるようにしたい。

某日
 栄養ドリンクはそこそこ効き目があるが、業務終了後に効力を求めるなら昼に飲むべきかもしれず、例によって仕事で疲れた。昨晩はどこかの島の駅を目指してひたすら緑の豊かな郊外を歩く夢をみた。地元の八国山に似通っていたが島という認識だったのでわくわくした。
 台風が九州を縦断している。毎年思うが地球温暖化の影響が災害としてあらわれていて、人的物的そして、政府や財界が好きな経済的損害が出ているにも関わらず対応が甘いのはもはやタナティックだ。他人のタナトスに付き合う義理もないのだが、トップがそうなのだから巻き込まれてしまうわけである。
 午前二時まで短歌活動ができたから上出来な一日だった。『古酒騒乱』に関する散文もあと一息で、推敲も明日できてしまうかもしれない。『ラヴェンダーの翳り』も読了。明日以降は『地獄谷』を読む。

某日
 『古酒騒乱』の散文完成。すこし寝かしてブログにアップしよう。「千と千尋の神隠し」が地上波でやっていて見てしまった。明後日の勉強会にむけて眠気と戦いながら『地獄谷』通読する。

某日
 オリンピックのニュースをみると、トライアスロンは水質が悪いし、馬術では馬が体調を崩すし、壮大な無駄遣いの様相だ。ドブに捨てるのであれば万分の一でいいので恵んでほしい。

某日
 今日は成年後見制度についての研修で、外に出ている。北浦和ははじめて訪れた街で、少し終わったら散歩したくなる。研修がはじまるまで河合貞一著「ヴィルヘルム・ヴント」というエッセイを読む。七十歳にして声に力が入っていて矍鑠《かくしゃく》としていることなど、心理学の祖ヴントの講義を直接聞いた著者ならではのヴントの息遣いを感じる。『源氏物語』夕霧一、ニ読了。御息所と夕霧の悲しい別れのお話。雲居の雁は華やかな女王の印象があったが、少しお騒がせだ。

某日
 仕事はそこそこで、『源氏物語』御法、まぼろしと読了。徐々に終幕に向かっている感じがする。川島結佳子歌集『感傷ストーブ』に関する散文に着手する。栞から別の角度で書けそうだ。ここ三、四年くらいの歌人論に関するレビュー評論を書きたい。

某日
 『源氏物語』匂宮読了。疲れていたせいかあまり頭に入っていない。仮眠をとり『感傷ストーブ』について引き続き書く。終わったら次は『ラヴェンダーの翳り』について書く予定。そのうち近代短歌を集中的にやりたいのだが、来年の取り組みになってしまうかもしれない。

某日
 精養軒にはじめてランチをしにいく。念願だったビーフシチューオムライスを食べる。「精養軒 文豪」で検索すると近代文学の巨人が多く精養軒で何らかの催しをしていることがわかり胸が熱くなる。
 その後国立西洋美術館で松方コレクション展を見に行く。松方の美術コレクションの変遷と世界情勢、作家との交流がわかる展覧会だ。ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「愛の杯」は図録にも解説にも書いてないが、オペラ「愛の妙薬」と関係があるような気がする。もしくは類想か。エドゥアール・マネの「嵐の海」は波しぶきや濃い緑がかったうねりなどCGよりもなにか訴えかける絶望感があった。モネの絵画が一番多く、松方の収集によって系統だてられているので、モネオムニバスの様相もある。入り口には「睡蓮」のデジタル画像を投射している展示物があり、出口付近には「睡蓮、柳の反映」の修復途中のレプリカもあった。後期の作品になるにつれ風景の気配やニュアンスのようなものが強くなってきており、より内面化されている。全体をみると印象派の絵画の収集が多いのだが、表現派や古典主義的な絵画の収集も多く、とにかく西洋文化の吸収を急いでいたことがみえる。また、解説だと日本海軍より外遊中にドイツの潜水艦の設計図を秘密裏に入手せよと特命を受けていたようだ。

某日
 小西甚一著『日本文学史』を読了。古代から近代まで文学様式の発展とその批評について恐るべき凝縮率で語られている。歌舞伎や浄瑠璃まで触れられており、ジャンルをまたがって文学の発展に言及しているところは、比較文学であるが、それぞれのジャンルを専門とする人々に多くの示唆を与えるだろう。実際短歌の評論において本書をこれから何度か引用するだろうと読んでいて感じた。
 NHKの「古典芸能の招待」で野村万作、野村萬斎、野村裕基の靭猿をやっていた。万作の気概のある芸と萬斎のわが子のように、実際わが子だが、猿を可愛がるさまが見応えあった。

某日
 野村證券につみたてNISAについて相談にいってみる。ドルコスト平均法は実際話を聞くと、ネットの情報とはまた違った印象で話を聞けてよかった。ちょっとずつ積立てて、十年後?の第2歌集の費用に充ててもいいかもしれないと思った。基礎知識をとスティグリッツ『経済学入門』を読む。経済学はお腹いっぱいだ。現状乱読しているが、今後は社会福祉学的書籍を読んでブログにまとめるといい気がしてきた。生業のスキルアップにもなるし、形に残るしね。閲覧者数も増えるしね。
 年金の財政検証のニュースが酷い。

年金 財政検証「経済成長なら目減りも50%は維持」
公的年金の将来の給付水準の見通しを示す「財政検証」の結果が公表されました。
経済が順調に成長した場合には、およそ30年間にわたり給付水準が抑制され目減りするものの、政府が約束している現役世代の平均収入の50%以上の給付水準は維持できるとしています。
一方、経済がマイナス成長の場合には、2050年代に国民年金の積立金が枯渇し、給付水準が、現役世代の30%台半ばまで落ち込むおそれがあるとしています。 

 ほぼ3割に落ち込む予想だろう。お先真っ暗だ。制度改革に活かすなどの(当たり前)話はあるが、なぜ遅きに失したかや、謝罪はない。そして、この詰んでいる状況でどうしていくかなどの説明をする気概もない。そもそも分散投資で原資溶かしているのに、人口動態ばかりに報道がいくのも恣意的だ。

某日
 仕事はときに諦めも必要。今日は埼玉文芸賞の応募を行う。『源氏物語』橋姫読了。薫の人間らしさが苦悩とともに現れる。八の宮の美しい姫たちが暮らす宇治は音楽が絶えることのない楽園のようだ。徳田秋声『躯』読了。父が内地で死んだ息子について語る話だが、父の人間臭い悔しさや、死んだ息子のいまいちつかめない不思議な雰囲気に惹きつけられた。

某日
 シェイクスピア著河合祥一郎訳『新訳 お気に召すまま』読了。ヒロインが賢く勇敢でジブリ映画のような面白さがある。また舞台が森なのもいい。