文学でも遺書でもない「散歩者の日記」あとがき

 一年分の日記を「散歩者の日記」という題で公開した。日記はときにスマートフォンで撮る写真よりも、そして歌よりも雄弁なときがある。私の日記は全く程遠いが、日記文学というジャンルがあるのもうなずける。日記は公開するか否か迷うものでもある。啄木のローマ字日記は非公開前提で書かれていたが、岩波文庫になってしまったという失敗例でもある。内面を綴った日記は非公開のほうが、プライバシーにおいてもよいだろう。
 しかし、公開するメリットもある。一つは読んでくれる奇特なひとがいるかもしれないということ。そして、明日予期せぬ事故で日記の主が亡くなってしまっても、遺されたひとに遺影以上に、自己の断片を残すことができるということだ。押し付けがましいが、親しい人にとっては多少の慰みになるし、こちらも少し安心するのだ。今年度も日記は変わらずつけているのだが、公開するかどうかは来年の自分に任せるとしよう。