かりん一首鑑賞2020年5月号

  「雨乞ひの沼の大蛇は象を呑む」まことしやかな祖父の法螺好き 小松 芽

 雨乞いの沼は各地にあるような気がする。龍神崇拝やそれに伴う水辺は、いにしえより日照りのときの心の支えだったことは容易に想像できる。そのような切実さは今日では一歩退き、民話や地域の言い伝えになっている。引用した歌も言い伝えを土台としている。しかし、象が登場するのは祖父のアレンジであろう。実際は象は言い伝えには登場せず、象を呑むほど大きいという、子供を納得させる比喩に使ったかもしれない。そこに祖父の人間性が出ており、われは親愛の情をもっているのである。
 連作内に〈青垣の大蛇《をろち》が峰のその奥に眼窩のごとく深き湖あり〉とあり、ともに読むと引用歌により広がりがでてくる。ヤマタノオロチが川の反乱であるという説があるが、作中の大蛇も湖と関係していることから、水害に由来しているのかもしれない。
 そしたら、祖父の法螺の象を呑むもあながち誇張とはいえない。

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