五月の空が包みこむ 富田睦子歌集『風と雲雀』を読む

 本歌集は日頃お世話になっている富田さんの第二歌集だ。批評会、方代忌などなど、他結社で一番お会いしている方かもしれない。人見知りな私を上手く場にまぜてくださったりお礼してもしたりない方である。閑話休題、早速作品を読んでいきたい。

  瓦斯の火の青さすずしく湯を沸かし明日は師走となる部屋にいる
  寝たふりを見破るところ眦《まなじり》に細くふたすじ皺よする子は

 一首目は何気ない場面を切り取った歌だが、外の世界は暗く寒いく、内は湯を沸かす温かな生活がある対比となっている。青い火がすずしいというのは言い得て妙で、燃えるときの音も轟々とはいわず、ボーっと一定のホワイトノイズがして、わりとすずやかに燃えている。ゆえに外の静けさと調和し、歌全体で新年特有の厳かな・幽玄な感じを醸し出している。二首目は子が寝たふりをするときに、無理に目をつぶるので眦に皺がよってしまうことを発見する。一首目の雰囲気に加えて、家族全体に静謐な時間が流れている。北原白秋『邪宗門』の「秋のをはり」という詩があり、季節は違うが、ちょうど瓦斯の火の静謐さを表現しているので、本歌集を読んでいるときに想起した。一部引用する。

いろ冴《さ》えぬ室《むろ》にはあれど、
声《こゑ》たててほのかに燃《も》ゆる
瓦斯《がす》焜炉《こんろ》………《空そら》と、こころと、
硝子戸《がらすど》に鈍《に》ばむさびしさ。

 この詩も季節は秋ではあるが、机の上に腐った林檎の青い香りをふりまきながら瓦斯焜炉は燃えている。無聊な室内に秋の陽は差し込んでいるのだが、瓦斯の火が静かに燃えているのである。本歌集の、瓦斯の火の歌となにか共通する気分を筆者は感じている。

  抱えれば頬にざわざわ触れておりコープみらいの葉付き大根
  ががんぼが開けて開けてと言うようにガラスを滑る 脆き脚見せ
 
 家族詠はそのまま家族を詠ったものもあるが、暗喩の歌が特徴的でもある。大根の歌は、日常の買い物の場面で葉付き大根を手にとったときに葉が頬に触れる。その感触は子のようでもある。ふと子が幼かったときを思い出したのかもしれない。ががんぼの歌はもう少しわかりやすく擬人法を用いて詠われている。開けて開けての口語のリフレインに、ががんぼの少年性のようなものが感じられ、脆き脚というのが傷つきやすい・被害に合いやすい弱い存在感を表している。富田のツイートで以前悪天候の日に、ががんぼが窓に避難してきた画像を投稿していたのを思い出した。

  母という「強くてnew game」めく時間九九の七の段風呂に唱えて
  ホレミイって言わないでよと早口に叫んで少女は傷のバオバブ

 先ほどソーシャルメディアに言及したが、強くてnew gameの歌も現代的なモチーフを取り入れてられている。テレビゲームをクリアしたときに、エンディングが流れたあとに、「強くてニューゲーム」を選択すると、クリア時のステータスではじめからゲームを進行できるものがある。少し前のゲーム要素ではあるが、似たようなもので昨今いわゆる「チート転生もの」といわれるサブカル作品が流行っており、強くてニューゲームは見直されている。そんなゲームやライトノベルに寄った幻想を風呂のなかで感じるというのがなんとも面白い。子はチート主人公の過去の自分でもあるのかもしれない。ホレミイの歌は、何か子が失敗したときに、それ見たことかを砕いて言った言葉だが、字面が面白い。傍からみると姉妹のように仲いいですねと言いたくなる。しかし、子と親は人生経験がちがうため、ホレミイで済ませられる事柄でも傷ついてしまい、気づいたら痛々しい傷がいくつもあったのだ。そして、バオバブのように言葉を発せず傷ついていたという発見もあった。

  針山にまるきまち針 似ておらぬ母子と母も思いたりしか
  新聞紙・聖徳太子・週刊誌 われに似てきた娘のしりとり

 そんな、母子の関係はわれとその母にもいえるかもしれないと、自らにも視点を向けていく。針山のまち針の刺し方は性格が出そうだが、几帳面な刺し方だったのだろう。母のことを思い出したときに針山が出てきたのも象徴的だ。しりとりの歌は歌集最後の歌で〈し〉を重ねるところや、それぞれのモチーフがわれに似てきたという歌である。したたかさ、歴史的と現代、文化と通俗さをどこか兼ね備えているという歌である。似てきたとあるが、親子の関係性以上に腹心の友に近い感覚が湧いてきたという印象を受ける。
 歌集を通読すると家族の歌、とりわけ子の歌が多いことは誰しも感じるだろう。しかし、家族詠で括ってしまってはいけない歌集である。たとえば、最初に挙げた瓦斯の火の歌は、堀辰雄の『聖家族』のような雰囲気がある。一方で、その後に挙げた歌のように、家族や自分自身に対して生の感情を抱くこともある。家族の歌は多いが、家族とは何か、親子とは何か葛藤を続けながら、様々な形をなしながら、最後の歌のような関係性を築いたという過程も歌集からみてとれ、読みごたえがある。

  芽吹きつつ風と雲雀をあそばせてあけぼの杉は朝をよろこぶ

 紆余曲折のなかに、共通の背景として五月の空を思い浮かべてみる。思い浮かべたあと本を閉じたら、表紙にそれが描かれていた。

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