馬と猫 坂井修一『縄文の森、弥生の花』より一首鑑賞

  亀よ亀よいづれたふとし博士ふたつもつ鷗外ともたぬ漱石 坂井修一『縄文の森、弥生の花』

 漱石はラフカディオ・ハーンの後任として東京帝国大学にて英米文学の教鞭をとる。教授の授与を辞退するのである。かねてよりの教師嫌いもあるだろうが、中村文雄著『漱石と子規、漱石と修―大逆事件をめぐって』(和泉書院/二〇二〇・一二)によると、「日露戦争の直前,7人の学者が開戦論を唱えて桂太郎首相に意見書を提出した事件。」(世界大百科事典第2版)である七博士意見書に賛同できなかったということもあるようだ。常に体制側にいて、文学と折り合いをつけている鷗外と、個人主義を貫く漱石とどちらが文人(博士)として尊いか亀に問いかける。答えはないため亀に問うのであろうが、国の情報技術を担ってきて、アメリカと日本のアカデミアや政治に葛藤してきた坂井はどちらかというと鷗外に近い立場なのだろう。作品にも鷗外のほうが圧倒的に多く登場する。そこに漱石という存在があり亀を見ているときにふと比較してみるのだ。
 岩田先生や小高賢は一方で漱石の歌が多い。いまは語るほどの準備はないが、いずれ考察すべき事柄だと思う。

このブログの人気の投稿

睦月都歌集『Dance with the invisibles』を読む

濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』を読む

後藤由紀恵歌集『遠く呼ぶ声』を読む