生活場モデルについて(ソーシャルワークの検討)

  社会的困窮や超高齢化社会など社会問題が多様化の時代から、深刻化にシフトしているように思える。文学とりわけ筆者が取り組んでいる現代短歌においては「生きづらさ」がキーワードになるほど生きにくいとされる世の中なのに、ソーシャルワークという言葉はメディアでは目にすることがない。本文では短歌と医療ソーシャルワークに携わる筆者が自己紹介もかねて、ソーシャルワークの新しい視座である生活場モデルの紹介とその展望について論考し、ソーシャルワークと短歌の接点を探る機会にもしていきたい。

 ソーシャルワークという言葉をはじめて耳にする人も多くいるだろう。ソーシャルワークとは『デジタル大辞泉』では社会事業を参照とされており、そこをみると「社会からの援助を必要とする人に対し、公私の団体が行う生活改善や保護・教化の組織的な事業(略)」と記されている。福祉機関には必ずといっていいほど多く配属されており、行政機関や高齢者施設、児童相談所や医療機関などが身近であったり、報道で目にする配属先である。福祉というとかつては公共機関は施策として要援助者に提供したものであったが、今日では準市場化され、自己決定権の尊重などもあり、『デジタル大辞泉』の解説よりもリベラルで柔軟で多様性のある活動である。ソーシャルワークはクライアントと直接面談するケースワーク、地域を組織化し福祉力を高めるコミュニティワーク、政策面に働きかけるソーシャルアクションなどと、ミクロ・メゾ・マクロな取り組みがある。その中で日本のソーシャルワーカーの多くがケースワーク~コミュニティワークに日々従事している。

 さて、相談援助技術におけるアプローチ論は医学や精神分析学の影響を受けた診断主義と、環境との相互作用に着目する機能主義からはじまる。テキストに掲載されているアプローチで新しいものだと脱構築主義や民俗誌の影響を受けたナラティブアプローチや、生態学の影響を受けたエコロジカルアプローチなどがある。また、カオス理論やトランスパーソナル心理学を取り込む考えも出てきており、時代とともに様々なアプローチが誕生している。クライアントと面談したり、クライアントを取り巻く地域の組織化をするという、突き詰めると困ったことを解決する手伝いをするというシンプルな活動なのに実に多くの学問のエキスが流入していることかと思うこともある。

 日々の実践のなかでアプローチはそれなりに役に立っており、たとえば筆者の医療ソーシャルワークにおける短期介入における退院支援は課題中心アプローチを意識して行うことが多い。課題中心アプローチは短期処遇と相性がいいとされているからである。課題中心アプローチについては関屋光泰のブログ「社会福祉士受験支援講座・教員日記」(二〇一一・一〇・二十七/https://miseki.exblog.jp/16746734/最終閲覧日二〇二〇・一〇・十八)で「クライエントの訴える問題を優先し,クライエントとともに課題を設定,遂行する援助方法である。」と説明しているが、要するに問題をスモールステップ方式に細分化したうえで、それぞれに解決策をあてがうのである。プラグマティズムの影響を受けたとされているが、臨床心理学の認知行動療法と共通項があるようにも思える。さて、本題の戻ろう。課題中心アプローチを念頭に置きつつ、患者の心身の機能に合わせて家族の介護や自助、介護保険サービスなどを組み合わせる助言を一度のカンファレンスでしてしまうと患者も患者家族も負担が少ない。例えば介護は必要な高齢者に関していえば、日中の活動はできるが入浴は一人では入れない。また、年金も限られており不安があるとする。そのようなときに入浴は通所サービスで賄い、経済的な問題は家計管理を支援している相談機関と連携を図ることで不安は解消される。クライアントに携わる専門職は思いのほか多いため一堂に会する機会をつくるのも調整が必要なので一度で完結できるならそれがベストなのである。

 また、社会的問題が複雑に絡み合っていたり、依存症であったりして社会的問題と心理的問題が相互作用をもってしまっているときはナラティブアプローチで問題の外在化を図る。このように筆者だけではなく多くのソーシャルワーカーがアプローチの恩恵を受けて日々実践しているであろう。しかし、どのアプローチも他分野から輸入している概念であることに気づき、何となく歯がゆい思いをしているソーシャルワーカーも多いはずだ。どのアプローチも多くは西洋の他の学問からの輸入であり、日本で安易に取り入れていいのだろうかと考えを巡らせるひともいるからであろう。

 いま、筆者が注目しているアプローチが生活場モデル(Life Field Model)である。生活場モデルとは空閑浩人が「評論・社会科学」(二〇一四・三/同志社大学社会学会)で社会も個人も西洋の概念であることを指摘し、日本人を社会のなかに生きる個人ではなく、世間のなかに生きる間人であると捉えなおしたうえで新たに「生活場モデル(Life Field Model)」を構想した。日本人は社会というより他者との間柄を重視する「間《あわい》の文化」のなかで日常を営んでいると空閑は述べており、「世間を離れては生きていけない」「存在論的安心」にも関わる問題であると指摘している。世間が構築される場の重要性については、仏教や日本におけるキリスト教の普及においてもみられると空閑は紹介しているが、文学においても和歌は座の文学といわれることから、日本人は「間の文化」であるといえそうである。

 「場」への視座を基盤にしたソーシャルワークは生活問題に対して、空閑は「自らが個性や自分らしさを発揮でき、行為主体や生活主体になれるような(略)「場づくり」という観点から、生活支援に取り組む社会福祉援助の実践と方法の追求である」としている。昨今メディアで取り上げられているこども食堂などは直接的な例だが、それだけではなく自らが社会の一員と感じるような自己効力感の獲得やいま・ここにいるという存在感覚を得られる「場」の構築が重要であり、空間の創出だけが「場」を作り出すということではないようだ。自らの弱さが認められ、他者と物との良好な相互作用が得られる「場」に生活場モデルは注目する。そして、そうした場の創出は家庭、施設、地域における環境づくり、まちのネットワーク、一人ひとりの生活づくりを支援者と利用者が共創することを目標とした実践であると述べている。

 まだ新しい視座である生活場モデルだが、理論の基礎部分はさらに探究できそうである。生活場モデルを読んだときに和辻哲郎の『倫理学』を想起したし、先述したように座の文学のありようも生活場モデルに別の視点を提供できそうである。日本思想に根ざしたアプローチは筆者自身も展望が楽しみで今後の充実を課題としたい。そのためには基礎部分と両輪の臨床部分でも実践と考察を重ね充実させていきたい。