玉蜀黍の白い髭のような 西村真一著『窪田空穂論』(平成二〇・一/短歌研究社)を読む

  窪田空穂の研究書は空穂系譜の歌人によるものが多い。その中で本著は研究者の視点から書かれているという特徴がある。また平成二〇年刊行のため多くの論考のなかでは比較的新しいものでもある。目次をみてみると「窪田空穂の歌の基層―その形成と定着―」で空穂の思想の根底にあるものを探り、「明星」から中盤の挽歌・老年の歌に展開していく。終盤は「窪田空穂の「顔」の歌」、「窪田空穂の草木歌」で空穂短歌の特長を見出していくという構成になっている。先行研究や作品、散文にバランスよく触れられており、そこから文学的な意義や魅力を引き出していくため、空穂にある程度親しんでいる読者はもちろん、初めて空穂に接する読者も全体像が把握できる本である。

 「窪田空穂の歌の基層―その形成と定着―」では基層を信濃の風土、農民の魂、両親、信仰の項目に分けて論じている。信濃の風土はいうまでもなく自然に恵まれており、モダンな食生活というよりは、当時は玉蜀黍や芋汁のほうが親しまれている。空穂の歌からもそうした風土に根ざした食が描かれており、歌と風土がつながるのである。農民の魂については空穂の父が農業を生業としており、労働はよいものであるという価値観があった。空穂も幼少期はその価値観のもと育ったが、散文では家畜も使わず一人力で一人力で仕事する農作業についてやや突き放した印象を持っていることが語られている。空穂はある人物に焦点を当てて作品をつくることをよくするが、両親や家族はとりわけ多い。空穂は若き日に母の懇願を押し切って上京している。東京専門学校を中退して、大阪で商売をする。商売に気質が合わず失敗するのだが、その後母が体調を崩したことで看病のために故郷に戻る。後悔もあり母に対しては並々ならぬ愛情がよみがえってくるのである。歌からも苦悩や人間臭さが読みとれるが、ろ過された抒情である。生活者としては想像以上に苦しんだことが推察できる。境涯詠や老年の艶といわれる作品が生活の苦悩を経て獲得したということは容易に想像できるが、それだけではなく度重なる内省や家族への思慕が人間への関心に発展していったのであろう。

 空穂は挽歌の歌人という印象がある。それは長歌「捕虜の死」で有名なだけではなく、次女なつ、妻藤野、そして次男茂二郎を亡くしているからである。本書ではそれぞれの挽歌やライフステージ、それぞれの死の特徴などから、空穂の多様な悲しみとその挽歌を考察している。なつの死は急に状態悪化して幼くして亡くしているし、藤野の死は結果的に一家離散を招いている。そして、茂二郎の死は晩年病気で伏せている空穂に告げられるのである。空穂を表す言葉のひとつとしてヒューマニズムがあるが、先に述べたようにヒューマ二スティックにならざるを得ない作家人生であったともいえよう。「窪田空穂の「顔」の歌」については空穂は顔を描いた歌が多いと論じつつ、自然主義小説を書いていたことから物語性を帯びた歌をつくったという考察をしている。また人生の表れとして顔があるという哲学をもっているということも論じられている。空穂が尊敬する人物のひとりのうち坪内逍遥がいる。『小説神髄』で写実主義を唱えたが、この写実主義はアララギ的な写生とは異なり、文学史的には自然主義に接続するものである。空穂は作家性と東京専門学校の学歴、そして文学的潮流など多くの偶然が一致して浪漫主義と異なる道を歩んだことがわかる。空穂周辺の歌人だけではなく、逍遥と空穂を並べて読んだり、「文章世界」に寄稿された小説を読んだりして、広く空穂を捉えるのも面白いかもしれない。そんなことを考えながら本書を読んだ。