悪友は本当にいそうだ 榊原紘歌集『悪友』を読む

  雨の屋根つらなるプラハ ゴーレムの崩れたあたりに僕は立っている
  Polizei《警察》のライトは青くPegida《ペギータ》の弾幕を裂くように照らして

 ゴーレムはユダヤ人の話である。暴れた土人形だが無敵ではなく、額の羊皮紙に書かれてある真理という意味のemethのeを消してmethつまり死にすると崩れさるというものだ。土人形は日本の妖怪でも泥田坊がいるし、人間は泥から造られたという神話もある。われは雨のプラハの大地に立ち、大地から人について思いを巡らせる。ユダヤ伝承が下敷きにある連絡なので、ゴーレムを経由させるが、神話と日常が重なるような非日常感も湧いてくる歌である。次の歌はペギータという言葉がわからない。新語時事用語辞典によると「ベギーダは西欧諸国の移民政策による「欧州のイスラム化」への懸念を訴える活動をしている。」と説明がある。右翼よりの政治団体だがネオナチとの関係が指摘されており……など欧州ではまた複雑な政治思想の分布図があるようだ。意図的にペギータを隠していて、デモなどの集団を照らす青い警察のライトに質感があるように詠っている。特定の政治思想によるものではなく、政治団体に向けられるライトの規制的な文脈を歌にしている。この連作は文化や政治の現状など多角的に詠われており読み応えがあった。

  こんな日に会う約束を 信号の点滅がやたらゆっくり見える
  いうなればきみはメフィストだったんだ、教科書で唇《くち》を隠して笑う

 歌集後半で特に君が登場する歌に顕著なのだが、過剰な修飾や、軽さが気になる歌もみられた。〈やたらゆっくり〉という表現はその一つである。修飾語を重ねると言葉が甘くなる。あえて意図しているともいえそうだが、今様にしたところで歌が甘くなると損するような気がする。また、メフィストについても、ゲーテ『ファウスト』や、そのモデルになった悪魔であっても単なるトリックスターではない。人間の業の象徴であり、ときにその魅力を、ときにそこからくる破滅を演出するのである。きみのファムファタルな側面は歌から読み取れるが、先の歌と同じように修飾が過剰である。

  ここで生き延びると決めた背中だな二重のフードを整えながら
  鉢合わせしようよ転生ののちに孔雀と螺子になったときには

 連作「悪友」は悪友の存在感が立っている。二重フードを整えるという垢抜けなさと、決意が同居しており、上句の大きく出た物言いを充分に支えている。また、孔雀と螺子ほどに違うものに転生する可能性があるほどかけ離れている君とわれという関係性も悪友らしくていい。

  雪柳 きみの死に目にあいたいよ ジャングルジムの影が傾いで
  誰になら看取られる気がありますか 塩の瓶ならいつもの棚に

 また、死を扱った歌も面白いものが多い。長寿社会において長く付き合うことは死まで付き合うということでもある。きみの死に目にあいたいというのは最大の表現である。次の歌は塩の瓶という日常に手触りのある素材を斡旋してきて、先程の歌よりも具体的だ。死に対する具体的な手触りがあるが、高齢者歌人の詠う死よりも美しく歌われており、そういった意味では具体的に演出された観念的な死の歌である。
 衒いなく知的な歌が散りばめられ、真摯な歌も多く好感がもてる歌集だった。筆者の見逃しかもしれないが、歌集批評会はあったのだろうか。最後に好きな歌を二首挙げたい。

  飴玉を右頬に寄せかえすときひかりは百合樹《ゆりのき》をくぐりくる
  記憶にない火傷の痕がある膝に母が花火と教えてくれる