窪田空穂著『日本アルプスへ 日本アルプス縦走記』(昭和九・十一)を読む

  本書は紀行文『日本アルプスへ』と『日本アルプス縦走記』の合本である。『日本アルプスへ』は空穂が三十七歳のときに日本アルプスへ登山したときのことが書かれている。徳本越えや田代沼などスポットで章立てされており、空穂と山を巡るような構成になっている。登山のメンバーには高村光太郎もおり、なんとなく気取っている描写が光太郎の雰囲気を伝える。「東京を離れる時に思ひ詰めて来た登山の願ひは、はげしく胸に起こつて来た。」という冒頭から始まる本書は空穂の現実を乗り越えるための登山でもあることがわかる。空穂は登山家という話は有名だが、作品はつい軒先や家族の歌に眼が生きがちで、縁側で煙管を呑んでいるような人物(老年)のイメージなのだが、「山へ── 一切を離れて山へ──」という高揚感はまだ三十代の若さがある。


 丁度築庭《つきには》の飛び石のやうに適宜の間隔を置いて転がつてゐる大きな石を、ゆらめく水を透して鮮やかにうかゞはせた。


 河原の描写だが短歌的な言い回しである。山の雄大な環境のなかにも微視的な視点ももっている。築庭という禅味がありコンパクトなモチーフを山の景色に斡旋するのが空穂らしい。その後飛び石を飛ぶことになるのだが、空穂はエッセイや紀行文においても短歌で培われた文体や思想を活かしている。


 作さんは朝飯の支度にかゝつた。河原に屈んで米を洗つてゐる作さんの後姿は、妙に寂しいものに見えた。燃えさがり、燃えさがりして、もう尽きそうになつてゐるたき火も寂しく見えた。


 窪田空穂は幼少期は病弱といわれているが、本書を読むと足腰が強く登山メンバーを冷静に観察する余力も持ち合わせている。気温の低い山中で背中を抱き合いながら暖をとって眠るという過酷な夜に作さんがひたすら火を守る姿の描写である。作さんがどのような孤独を抱えているかは具体的に書かれていないが空穂は作さんの姿をみて、大自然のなかの生物はちいさく孤独であることや、人の生もまた孤独であることなどを想像したのかもしれない。また、岩魚の漁師と出会ったときも遠めに眺めながら、「何んな気分で暮してゐるだらう、と私は、その漁師の隠れた柳原の青く日にきらめくのを望みながら思つた。」と心理面への関心を寄せている。

 焼岳は溶岩や火山性の煙が活発に出ており、緑はないこげ茶色の山である。空の青さがコントラストになっており、焼岳の赤茶けた世界は死であると空穂はいう。天地の中に隠れている強大な死であるというのである。この描写から自然は美しいというインテリジェントデザイン的なテーゼに囚われずに、歌人として登山者として純粋に日本アルプスと向き合っていることがわかる。また大自然のなかにも生と死を見出し続け、ヒューマンな視点を持ち続けているところも空穂らしさがでている。野営した赤岳付近を煙草をふかしながら歩いていると尾根の両側が削り取られ、赤く切り立った部分をみて尾根の死骸であると喩えるなど、案外山は死を彷彿とさせる景色が多いのである。本書のなかでの死と荒廃は近い概念なのであった。

 本書は単なる紀行文ではなく、日本アルプスの自然を楽しめる空穂の文体や、同行者の様子も楽しめる。生死を超越しているような尾根にも死を見出したり、熊に出会ってもそこに危険や死を予感する記述はなかったりと、空穂の死生観も垣間見える。また雷鳥の雛と出会った場面は短歌としても詠まれており、関連性がみえてきて面白い。日本アルプスとまではいかなくても定型を携えて自然に遊ぶのは気持ちよさそうだ。