若月集(「かりん」二〇二一・三)を読む

  「かりん」誌の若月集は若手の選歌欄でメンバーは毎月変わる。年々掲載されるメンバーが増えてきて毎号充実している。若手の作品を選び集約するというのは、おのずと各々が刺激しあうような環境になる。しばらく短歌をしているとそのことを忘れがちだが、念頭においておきたいことでもある。というわけで、今回は「かりん」二〇二一年三月号「若月集」の前半部分の歌を鑑賞していきたい。


  パーカーの教師の今日は汚さずにチョーク折ります 授業はじめます 貝澤駿一


 前の歌にパーカーを着た生徒の頼りなさに共感する歌がある。パーカーは手軽に羽織って外に出られる反面、スウェット生地で部屋着にもなるような内と外の側面があるように思える。人間的な柔らかさを持ちつつどこかナイーブなのである。われはそうした面を持ちつつも、チョークをきれいに折る律義さをもち教壇に向かう。前の歌と響き合わせるならパーカーの生徒と自分へのささやかなエールだが、全国にパーカーくんへのエールでもある。


  宵深く出合え出合えと騒々しいマッチングアプリの照らす頬骨 辻 聡之


 出会えではなく出合えというのがマッチングアプリの無機的なところにつながっている。出会いたいからマッチングアプリをインストールし会員登録するのだが、おそらく男女とも出会いに積極的になるような心理的な仕掛けがある。その一つがマッチングアプリの通知なのだろう。仕掛けに引っかからないわれは夜もマッチングアプリに追い立てられるのに辟易している。辟易しているようでも頬骨というエロスのあるフォーカスが、アンビエントな雰囲気を出している。出合えが時代劇などでくせ者に対して使われる出合えにも読める気がするが、ちょっと脱線しているかもしれない。


  印鑑を朱肉へぐりぐり押しつけるどちらが壊れても孤独なの 岡方大輔


 印鑑を押しつける動作に暴力性を感じている。印鑑でなくてもいいのだが、もう少し柔らかいものだったら押しつける力で砕けてしまうかもしれない。そんな脆さと、脆さに孕む孤独をいいたいのである。今月の岡方作品はヒリヒリとしたものが多く、作品と現実が脆く切り結ばれているようである。家族詠を通じて人間とその肉体とは何かと自身に問いかけているようでもある。


  坂道を身を寄せ登りくる子らをひとりずつはがす先生の役 中武 萌


 コロナ禍での登校で密にならないように教員として注意をする場面の歌だ。坂道を身を寄せ登る生徒に微笑ましさを感じつつも、それを離れさせなければならない。ひとりずつはがすというのも玉ねぎの皮をむくような、感覚的にわかる表現である。はがすことがネガティブにならずに、どこか面白みもある歌である。


  モナ・リザの瞬きより生れし夜の火事は白亜の館をつつみしといふ 鈴木加成太


 一連『ラ・ボエーム』や『幸福の王子』などが下敷きにある連作である。幻想的かつペダンティックな連作である。原作を知らなくても引用歌の上句のような表現は秀逸で、鈴木の展開する文学世界を体現しているようである。美術品が招いた窃盗や戦争による火や、芥川龍之介『地獄変』や三島由紀夫『金閣寺』のような芸術の火など様々な火を想起させられる。ウィキペディアで調べたところ、盗難騒ぎがあったときにフランスの詩人ギョーム・アポリネールが「燃えてしまえ」と言い放ったことで嫌疑を駆けられたというエピソードがありそれが下敷きになっているようだ。