窪田空穂著『炉辺』を読む2

  『炉辺』に所収されている「無言」では主人公が四年ぶりに郷里に帰るところから始まる。「古い夢を葬つてあるあの高原の中の平に立つて、そろ〱忘れさうになつて来た黴臭い味噌汁を啜つて見よう」と述懐しており、自然豊かで野趣あふれる農村像が立ち上がる。順当に考えれば空穂の故郷である松本を想起すればよいだろう。農村風景は空穂の原風景でもあり、空穂が成長しても変わらず存在するものでもある。物語中に甥が骨折で近くの病院に入院していることがわかり会いに行くのだが、井戸から水が溢れ大きな箱に水が流れ込んでいるところや、病窓から紅や青い林檎がゴロゴロとなっている描写は実感のこもった美しい自然描写である。岩田正『窪田空穂論』(二〇〇七・十一/角川学芸出版)では『日本アルプス縦走記』を挙げながら自然描写をしながらにして人間を描いていると論じているが、まさに本作も甥と主人公の関係性が林檎の実りや池の鯉など素朴な美に表現されている。郷里の自然のあたたかさに甥と主人公との緊張感や、かつての確執は氷解するのである。原風景と現実が一致することはひとつの安定であり、空穂の全人的な一部分である。

 一方で「無言」には破綻も描かれている。かつて一年だけ結婚生活を送ったお澄との再会である。いわゆる家同士の都合での結婚であり一年で破綻するのだが、そこには悪いことばかりではなく、お澄に惹かれるところもあった。しかし、表題どおり二人は言葉を交わさず、甥のように関係性が氷解するわけではなかった。お澄と主人公の関係性は空穂の自伝的な部分がある。主人公とお澄はお互い懐かしみを感じながらも、すれ違った運命にあることを自覚し、また運命に流されていくのである。「歓迎の夜」は旅先で急変した父を郷里に籠で連れ戻すという物語だが、自宅まであと一歩のところで藍色の不気味な夕空のもと黒黒とした稲倉峠が聳えたつ。峠を上ると強風が主人公と危篤の父を襲うのである。父は振戦も黄疸もあり見るからに最期のときが迫っているのだが、自然は強風を持って残酷にも籠を大きく揺らす。「無言」は私的な破綻があるが、「歓迎の夜」はもっと巨大な抗うことができない力が働いている。空穂は破綻がないまたは、全人的であると評されることが多いが、身近な人物の死や、農村の厳しい自然にさらされた文学性が根底にあり、その上に好々爺然とした風格が漂っている。人間自身も掘り下げていくと破綻だらけなのと同じように空穂も破綻を秘めた作家なのである。