戦争詠を振り返える。タイムラインを繰る。

  年末年始は読まずに溜めていた所謂積読というものを解消するいい期間だった。篠弘『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』(二〇二〇・一〇/本阿弥書店)が未読なのはまずいと思い、一番に手に取った。さて、『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』を読む前に、小松靖彦『戦時下の文学者たち 『萬葉集と生きた歌人・詩人・小説家』』(二〇二一・一一/花鳥社)を読んだ際に、戦争短歌の分類が紹介されており、念頭に置くと篠のいうことがより整理できる。戦争短歌は総称で銃後の「愛国短歌」、戦場の人々の「愛国短歌」、戦場詠に大別され、そのなかでも「より穏健だが集団的立場で戦争を詠む」、「〈私〉に即して戦争を詠む(矛盾した感情を含むこともある)」が銃後の著名な歌人のなかで心を砕いた部分であった。小松は例として与謝野晶子〈水軍の大尉となりてわが四郎み軍に往く猛《たけ》く戦へ〉、〈戦ある太平洋の西南を思ひてわれは寒き夜を泣く〉を引用している。有名な「君死にたまふことなかれ」を想起すれば、晶子はそう詠うだろうなと容易に想像がつくが、〈強きかな天を恐れず地に恥ぢぬ戦《いくさ》をすなるますら武夫《たけを》は〉は戦争賛美の歌である。『大東亜戦争 愛国詩歌集』に採られた歌であるが、小松は家族への心情と国を思う心情が共存していたと論じている。そこに行きつくまでは晶子の精神世界で、万葉集や源氏物語、コスモポリタニズム感があった。ブログという形式に甘えて乱暴にまとめるならば晶子は愛国短歌をナショナリズムで詠んだのではなく、生活感情や人道主義の立場から詠んでいる。当時戦争一色に染まった世界の中に生きて、国家権力によって徴兵制がなされ、また日本という国の存続や市民・文化・言語などの存在が危うくなった状態で戦争に負けられないと思うのは時代的な認識を加味するとある意味当然であるし、そのなかで「より穏健だが集団的立場で戦争を詠む」、「〈私〉に即して戦争を詠む(矛盾した感情を含むこともある)」という姿勢は歌人の批判的思考をギリギリ守る路線であることがわかる。

 前置きが長くなったが、『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』は四部立てで戦地に赴いた渡辺直己や宮柊二はいるが、主に銃後の著名な歌人の作歌上の葛藤を論じた「苦闘した戦時詠の遺産」、学徒出陣で生徒・会員が次々と徴兵され散るなかでの「まひる野」・「鳥船」の様子や、今や忘れられてしまった学徒出陣・勤労動員された有望な歌人たちの歌も紹介されている「過酷な学徒出陣と勤労動員」、プロレタリア短歌や、自由主義的な思想背景のある歌人、自由律歌人の弾圧についての「弾圧された運動体」、斎藤瀏、中河与一、太田水穂らによる大日本歌人協会の解散劇が緊迫感とともに描かれる「迷路に入り込む歌壇」で構成されている。本書では篠が時代に即応しているだけではなく、各々が抵抗体として存在していたことを論じたかったと述べており、個々の歌人の歌風に即した抵抗を「苦闘した戦時詠の遺産」で紹介している。小松の「〈私〉に即して戦争を詠む(矛盾した感情を含むこともある)」と「より穏健だが集団的立場で戦争を詠む」がスペクトラムになっており、それぞれの立ち位置で詠っているという状況である。そのなかでも土岐善麿は第四部にもつながり、戦争短歌の表現論から、大日本歌人協会解散までの本書の展開に通る芯のような歌人である。そこには概念的な歌境が提示された歌集『六月』がある。土岐は言わずもがな新聞記者であり〈その任にあらずと知りしときは既になしたることの術《すべ》なさ〉を読むとジャーナリズムはもう通用しないまでのところに戦局的な緊張感が高まっていることが示唆される。概念歌は近現代において成立しがたい表現史的な状況のなか釈迢空が「歌集『六月』を読む」という論文を書いて、「つまり文学である思想を中身に入れるよりも、それが直に情熱となつて、形式を発動させて来るのではなくてはならぬ」と気分を重視するなどして善麿の概念歌の理論的補強を行ったことを篠が紹介している。『六月』は社会情勢を抽象化して検閲や大政翼賛的な批評を躱していたという狙いもあったが、『六月』が歌人によって評釈されるとされるほど、善麿の抵抗が白日の下に晒されて危うくなるという状況であった。篠はこの論稿は執筆未了のまま善麿に手渡されたもので、國學院大學教授という迢空の立場にあって内紛に巻き込まれたくなかったのだろうと論じているが、迢空の立場もそうだが、本書第四部まで読むとむしろ善麿の立場を慮っての上の決断だったのではないかと想像できる。第四部は筆者は一番緊張感をもって読んだ。体制側の歌人が陸軍情報局と結託して、リベラル側の歌人を追い詰めていくのである。そして戦後は「文学検察」という連載で逆襲が始まる。通して読むと表現を守った歌人たちに共感し、体制側の歌人許すまじと思いがちであるが、戦後戦争責任を負わせるがごとく糾弾する様子をみると、白と黒のモノクロームな時代で、灰色は白と黒に圧倒されてしまうのだと残念な気持ちになる。

 二〇二一年一二月三〇日に放映されたNHK総合の特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」も歌人同様にギリギリの路線を模索し、そして軍部のプレッシャーに負けたという場面が描かれている。NHKが入手した極秘文書が下敷きにあるようだが、第二次ロンドン軍縮会議で条約脱退し戦艦を増産したい海軍上層部と、軍縮を維持してお互い権勢しあうことで衝突を避け、世界からの孤立を避けたい五十六の葛藤を描いている。五十六は協調路線の条約案(これが秘密文書?)を上層部に上申したが破棄される。奇しくも銃後の歌人と五十六の葛藤が交錯する年末年始となり、当時の知識人のなかでは良識が保たれており、それがブレーキにもアンチテーゼにもならなかったのだと思い知らされた。『戦争と歌人たち ここにも抵抗があった』、『萬葉集と生きた歌人・詩人・小説家』』は現在書店で手に取れる書籍の中で戦争と文学とりわけ短歌の関係を知るのに好著である。しかし、総合誌で特集されたり、読んだ・まだ読んでいないという話を対面で話す限りで、個人的にはもう少し反響があってもいいのではないかと思う。総合誌・結社誌とともに昨今取り上げられるSNSにおいては黙殺されているといってもいいくらい戦争と文学、または近代に残された問題が論じられていない。情報はあるしかし、論じないというのは極論だが選択的に分断しているようにもみえる。将来、短歌のプラットフォームがインターネットに移行したとすると、なおさら社会や短歌の存在を論じる場所として総合誌や結社など旧来のシステムは残るだろう。しかし、それら根幹を欠いたプラットフォームは空中分解するのではないか、そんなことを思いつつ年末年始はツイッターのタイムラインを眺めていた。