空穂はミーハーな山の歌人

   つめたくも笑はんものか何を見てさしもは笑ふ一つの羅漢 窪田空穂『鳥声集』

  

 詞書に新しく出来た武蔵野鉄道で飯能まで行き天覧山に登ったと書かれている。天覧山には十六羅漢像という史跡がある。天覧山の見どころの一つで、江戸時代に徳川綱吉が病気の治癒の祈祷を僧に依頼し、そのお礼で建立したとされる。空穂は顔をよく詠む歌人だが、羅漢像においても表情に注目している。何を見てもあんなに笑うというのは、羅漢像特有のひょうきんさが出ているが、そんな羅漢も冷笑するのだろうかとふと思うのである。上句で覚めた把握がありまだ若さの残る鋭敏な知性が垣間見える。『所沢市史ダイジェスト版 ところざわ歴史物語』(二〇二〇・十一/所沢市教育委員会)によると武蔵野鉄道はいまでいう西武池袋線で大正四年四月に開通した。『鳥声集』は大正五年刊行なので武蔵野鉄道が開通してすぐ天覧山に臨み、すぐに引用歌をつくり、歌集を上梓したということになる。武蔵野鉄道の開通が当時どれほど反響だったかはわからないが、そうした事実からミーハーな空穂がうかがい知れる。山好きの空穂にとっては秩父山脈にアクセスしやすくなり、手始めに天覧山に登るか、という気分もあったのかもしれない。〈飯能《はんのう》の天覧山《てんらんざん》はひくかれど登り立てば心たのしくありけり〉という歌もあるが、日本アルプスを踏破するほどの登山家にとって天覧山の〈心たのしく〉は、高山の厳しくも雄大な自然に心打たれるのに反して、低山の散歩の延長のような日常的な楽しみに近いものだったのだろう。たのしいのは〈心〉と特定しているあたりが、日常感がある。さて、天覧山は埼玉県西部の出身なら遠足で訪れる山として有名であるが、昨今では未読だが『ヤマノススメ』という漫画にも取り上げられ、全国的にも名を知られるようになった。ミーハーな空穂はいま生きていたら『ヤマノススメ』を読んでいたに違いない。